2009年9月 7日 (月)

朝日岳の人々(4)

長~い下りも、この鉄橋で大体4分の3を終了。

Setogawa 橋の手前では、昼食をとろうとザックから鍋やらコンロを取り出す人がいる。向こうではあの青ザクグループが談笑しながら休んでいる。どちらも、ここまで来たらもう安心・・という感じで、ユルイ雰囲気が漂っている。

私もそう思っていましたです、ハイ、ここまでは・・。

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2009年9月 6日 (日)

朝日岳の人々(3)

5時出発のつもりで4時に起きる。
小屋の朝ご飯が5時らしく、周りの部屋も殆ど起きている。

Suiheidoと、4時半頃に館内放送。「少し早いですが朝食の準備が出来ましたので、食堂にどーぞ」 皆がご飯を食べている間に、オジサンの居ない部屋でゆっくり着替えをし、空いてるトイレを使う。

外で昨日作った赤飯おにぎりを食べていたら、白馬回りの女性が出発していった。


お気をつけて~paper。 

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2009年8月27日 (木)

朝日岳の人々(2)

さて、一山越えたからと言って、道は下りにはならない。
基本的に北又から朝日小屋までは、ずぅ~っと上りだ。

Hashigo ちょっとした岩場にロープや鎖が置かれているが、せいぜい2~3m。下りにあれば便利かなぁ~程度である。そう言えば2合目の手前にハシゴもあったなぁ、4段の。なが~い登山道で一応ハシゴ、ロープ、クサリと3点揃っているが、どれも1箇所ずつ、規模もミニチュアって感じだ。

それにしても、歩くのにそろそろ飽きてきた。

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2009年8月25日 (火)

朝日岳の人々(1)

お盆は朝日岳。

某掲示板で、「ゆかりたん」という愛称で呼ばれる小屋番で有名な朝日小屋。今夏のブログは、天候不良でお客が来ないと悲壮感が漂っている。まぁ、私1人が行ってどうこうなる訳でKitaguniもないが、その百花繚乱のお花の写真に惹かれて、行ってみる事にした。

ついでに久々の寝台急行にも乗ってみる。
むか~しの寝台急行に比べれば、案外揺れないじゃないの。
朝まで眠れないかと思ったが、寝入りばなにしっかり夢を見た。

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2008年12月 2日 (火)

読まない、見ない、言わない

ネット掲示板の世界ではとかく、中高年の遭難が話題になる。何歳くらいの人たちが書き込んでいるのか分からないが、だから年寄りは・・的な批判を見ると、いずれアンタ達もこうなるのよぉ~と突っ込みたくなる。

「年金泥棒」とか「団塊は山に来るな」なんて意見は笑うしかないが、年齢から来る気力・体力の低下が事故につながる事は確かに否めない。掲示板で何かと批判される、まさにその年代と歩いたり、たまたま同宿したりして気付くのは、「読まない、言わない、見ない」。

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2008年11月12日 (水)

しらびその人々(2)

Midori 夜半から風が強い。しらびそ小屋は見た目よりしっかした造りで、窓もカタともいわない。我が家の方がよほどガタピシしてるし隙間風も入り放題だ。風の音に混ざってキチのワンワンと吠える声が、マリさんの居た夜を思い出させる。朝は晴れてはいるが、風がまだある。雨模様ならさっさと稲子湯に戻って、まったりお湯に浸かってから帰ろうと思っていたのだが、このお天気なら予定通りにゅうに周って白駒池で味噌煮込みうどんを作ろう。

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2008年11月 6日 (木)

しらびその人々(1)

Lucky_2 4年程前のヤマケイJOYで秋の八ケ岳を特集していた。そこにあったしらびそ小屋とにゅうの道が良さそうだったので、いつか行ってみたいと思っていた。それに、しらびそ小屋の看板犬にも是非お会いしたい。紅葉が終わって人も少ないだろうと見計らったのだが、いかんせん連休ということもあり、前日に予約の電話を入れてみると、けっこう混みあってますとのお返事。でも、お天気も良さそうだし、混むったって紅葉時の涸沢ほどではないだろうと期待してしらびそ小屋へ向った。

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2008年8月25日 (月)

北岳の人々(2)

Futamata 4時頃から周辺がザワザワしだし、5時ちょっと前には朝食の準備が出来たとの放送が入る。食堂に人が行ってガランとした部屋で着替え、一旦全荷物を持って外に出る。今回は連泊だから、大きなザックは小屋に預け、サブザックに例のおむすびや飲み物を入れて出発する。二俣で、大樺沢の雪渓を眺めながら、赤飯おむすびの朝食。普段から朝はあまり食べられないので、とりあえず1個しか食べない。そうこうする内に3人組がやって来て、八本歯のコル方面へ去っていく。

Buttress 3人を見送ったら、右俣コースへ。左手に北岳バットレスを見ながら上がる。時々樹林帯の中に入るが、沢沿いに出る度に北岳山頂が近付いていて、どの位高度を上げたか分かるのがウレシイ。一人下山者とすれ違った頃、ヘリの音がする。6時半くらい。何かしゃべっている。丁度上からオバサマ3人組が下りてきた。「何か話してますねぇ」と言いながら一緒に聞いてると、「こちらは山梨県警です。遭難者収容作業を行います」と言っている。聞けば、昨日100m落ちた人が居るとか。100mはキツイなと思いながら帰ってニュースを見たら、山頂付近で100mどころか300m落ちたらしい。う~ん、身体半分くらいになってるんだろうな。県警も6時半からお仕事とは大変だ。

Sancho 草すべりとの分岐を過ぎると、どこから湧いたのかいきなり人が多くなる。8時に肩の小屋について、赤飯おむすびをもう1個食す。9時に北岳山頂。北岳の標高は2004年に、それまでの3192.4mから3193mに改定された。頂上の道標にも、いかにもとってつけたようなプレートが貼られている。それにしても頂上の道標が多い事。3つもある。その内二つは隣り合っているのだが、その道標の周りで若いグループがいつまでも写真を撮り合って離れない。あげくに側で何か食べだした。混んでるならまだしもガラガラの山頂なのだから、食べるならよそで食べてくれぃ・・と思いつつ、彼らがハケるのを静かに待つ。他にも写真待ちの登山者が1名。

はしゃぐのは良いが、ちったぁ空気読めよ、大阪市立大山岳部!

Katanokoya 10時に肩の小屋に戻る。どうも小屋の従業員さんも朝の仕事を終えてお茶の時間らしい。外に椅子を出して、のんびりお茶を飲んでいる。ほんとはここでお昼でも・・と思ってたのだが、まだこんな時間。ええぃ、下りてしまえ。\100でトイレを借りたら来た道を戻る。

小太郎分岐に向かう道では、前を単独の外人さんがゆ~っくり歩いている。大きなザックにはサンダルがぶらぶらと揺れている。どこから縦走して来たのだろうか、ちょっとお疲れのご様子。分岐に着いたら外人さんは靴を脱ぎ、どっかり座って仙丈や甲斐駒を見ながら休憩に入った。

Kusasuberi2_2 帰りは草すべりルートを歩いてみる。ここでも途中、中東系ぽい単独の外人さんとすれ違う。道端で避けていると、「こんにちは、すみません」と言って通り過ぎた。こちらもかなり大きなザックを背負っている。みんな、異国の地で独りでよく歩くなぁ~。

眼下に白根御池が見えるが、見えてから遠いんだな、これが。草すべりは「草原状の急斜面」と地図にあるが、ほんとにそれだけ。お花が楽しめるらしいが、時期的にピークを過ぎた今はつまらない。登りも下りも、もういいわ。12時に御池小屋に戻ってきた。10人ほどのグループが休憩しているが、聞こえるのはハングル。おぉ~、巷で何かと評判の韓国突撃登山ツアー様と遭遇だ。

お昼は残った赤飯おむすびと、インスタントお味噌汁。食後はお気に入りのチャイでまったりと過ごす。1時頃、突撃ツアーは北岳に向かって出発していった。こちらは受付で今日の分の宿泊費を払う。連泊なのだが、毎日その都度受け付けるシステムなのだ。昨日とSanso_2 同じ部屋で今日は一番乗り。宿泊者は昨日より少ない。夕食時食堂に行ってみれば、昨日の1/3位しか居ない。

メニューは昨日とほぼ同じ。付け合せのきゅうりがポテトサラダになり、デザートのグレープゼリーが白桃ゼリーに変わっただけ。南アの小屋は北アに比べ食事の評判は良くない。小屋の人も愛想がないと言われるが、確かにマクドナルド的営業スマイルはないが、部屋は清潔だし、質問した事にはちゃんと答えてくれるし、おまけに北アの相場より1000円は安いのだから文句はない。前にも書いたが、長い人生のたった2日同じ食事が続いたからと言って、何が悪い。その分料金を安くしてもらった方がよっぽどありがたい。

今日の同居人は夫婦連れ(多分。ワケアリではなさそう)2組に単独女性2名。その内の1人は20代前半と思しき楚々とした女性だが、ハンガー持参とはなかなか小屋慣れしている。食事も静かに、しかししっかりご飯をお代わりして済ませ、部屋に戻ればコースガイドを熱心に読み耽っている。翌朝4時半ごろ、皆が動き出した頃にはハンガーと共にその姿は既になかった。むむむ、やるな、おぬし。

最終日、8時のバスに乗りたいので、5時半に出る。雪渓沿いと来た道のどっちを下るか迷ったSanso2_2が、結局往きと同じ道を辿る。6時半ごろ、又もやヘリの音。やはり何かしゃべってるが今いち聴き取れない。30分くらい上空を旋回してたから、道迷いの遭難者でも出たのだろうか。1時間くらい下りると続々と人が上がってくる。

第2ベンチと第1ベンチの中間辺りで、女性の単独さんに「小屋はまだでしょうか・・」と聞かれる。う~ん、ちょっとまだ遠いなぁ。更に下ると又もや、単独の外人さんだ、、と思ったら後から日本人女性が付いてきていた。

テント装備の大きなザックを背負い、下を向いて上がって来る女性とすれ違う。すれ違いざま「おはようございます」と顔を見てビクッ。白黒のまだら模様になっている。日焼け止めの白色が汗で融けて顔面を筋状に流れているのだ。真っ黒のサングラスが余計その不気味さを引き立てる。帽子も目深にかぶってるし、もう明るくなってるから良いけれど、夜明けの薄暗い中で出会ったら、絶対腰を抜かす人が居るに違いない。

汗をかくなとは言わないが、オンナの心意気として、もう少し涼やかに山に上がってほしいなぁ。日焼け止めを真っ白に塗りたくるのはイケマセン。

7時半に広河原に着く。バス停には2番乗り。1番はやはり20代前半の妙齢なお嬢さん。真っ赤なザックが可愛い。ほんとに南アは若い人が多い。バス停の向いは芦安駐車場行き相乗りタクシーの乗り場で、ドライバーが客引きをしている。この時間、まだ下山者は少なくあと5分でバス発車というタイミングで、甲府駅行きの客引きを始めた。件のお嬢さんと、「もう少し早く言ってくれれば良いのにねぇ」と言いながら、100円足した2100円で甲府行きタクシーの客となる。同乗者は他に3名。11人乗りだからゆったりと甲府までドライブ。ラッキーnote

Danrokan_2 市役所の裏にある談露館というホテルで汗を流す。狭いがれっきとした温泉だspa。市役所のお向かいには宅急便の営業所。その辺の調査は抜かりない。身も荷物もサッパリしてリゾート風スカート姿に変身してご帰還だ。その為にサンダルもザックの底に忍ばせていたのだ。

それにしても、甲府駅って待合室がないのね。荷物の入れ替えをどこでしようかウロウロしてしまった。どこかの山岳部が死んだように寝転がっている通路の端でごそごそ入れ替え作業をしたが、と~っても不便。一応北アの「岳都」松本に並ぶ、南アの「岳都」と思うのだが、どちらも山ヤさんには遠い駅になってきている。

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2008年8月22日 (金)

北岳の人々(1)

Book 今年のお盆休みは、北岳。今年に入ってから船窪小屋の評判を聞き、佐々成政の針ノ木越えに因んだコースをずぅ~~っと、念入りに、詳細に計画してたのだが、直前でアッサリひっくり返した。ま、良くあることです、私には。結果的には雨続きの北アより、降る降ると言われながら快晴だった南アで良かったワケで、これも虫の知らせってものかしらん。

甲府に入るにはどう調べても一旦新横浜に出るのが早いらしいので、まずは新横浜で前泊。思いがけずカレと一緒にお夕食で、一人狭い部屋で寂しくコンビニ弁当をしないで済んだ、ウフ。自転車で颯爽と帰っていく後姿を見送って、いよいよ単独行モードに突入する。今回カレが持ってきてくれた本は、嵯峨島昭の「白い華燭」。これと前回もらった北杜夫の「白きたおやかな峰」が今回のお供となる。チト、重い・・。

横浜線で八王子まで行き、そこで「あずさ」に乗り換え甲府へ入る。広河原行きバス乗りHirogawara場はザックの行列。運賃は今年から芦安マイカー規制の協力金100円が上乗せされ、2000円になっていた。100円は一応任意らしいが、皆さん文句も言わず払っている。この期に及んでも夜叉神で降りるか広河原まで行くか決めかねているグループが居て、切符売りのお姉さんに「まだ考え中です」なんて言っている。行き当たりばったりは私だけじゃないのね。

甲府駅のコンビニでお昼やら行動食やら調達しようと思ってたが、駅構内はもとよりバス乗り場周辺にもコンビニが見当たらない。かろうじて駅ビルの京樽が開いていたので、ここでおいなりさんを調達。お盆のわりには乗客数は少ないようで、バスは2台で充分間に合っている。終点の広河原で降りたら少し戻って北沢峠行き林道ゲートから野呂川の吊り橋を渡り、広河原山荘までとりあえず来てしまう。ここでおいなりさんの昼食。水が蛇口から取り放題なので、おいなりさんが入っ1st_benchていた容器を丁寧に洗ってザックに戻す。あとで活躍してもらうからね。

学生風団体がいくつもテントを張り、丁度下山してきたグループに「お疲れぇ~」等と声を掛けている。向こうの木の下ではいつの間に来たのか、外人さん2名がヤレヤレといった感じで座り込んで水を飲んでいる。なんか、涸沢周辺に比べると若い人の比率が高い。

白根御池山荘へ尾根道を辿る。木の根がはびこり段差もあって至極歩きにくい。第一ベンチ、第二ベンチと過ぎ、「急登終わり」のコメントが書き込まれた標識の前で、行き合わせたお二人と、ほんとに終わりでしょうかねぇ・・と怪しむ。はい、確かに急登はなくなりました。でも登りが終わったわけではありません。ちょっとしたアップダウンを2-3度繰り返すと目の前がパっと開けて、白根御池山荘がいきなり目の前に現れる。広河原山荘からここまで約2時間。ちょっと張り切りすぎました。

Room お盆なのに、ちゃんと布団1枚に寝られた、、というかお盆なのに思ったほど混んでない。部屋は男女一緒の8人部屋。混んでようが空いてようが、到着順に1室ずつ埋めていく方針らしい。この部屋では私が最後で、既に5人ほどが布団をかぶってお昼寝中。隣の単独女性は4時頃になったらムクリと起きて、一人分のアルファ米でお夕飯を作り食べていた。室内でしてしまうのにちょっと驚く。いくら火を使わないとはいえ、普通外でしないか?夕焼けもきれいなのに。

Omusubi 宿泊者の夕食も5時1回で全員終了。この後、こちらも明日の朝食作りという一仕事が残っている。水・お湯・お茶は汲み放題なので、お湯をもらってアルファ米の赤飯でおむすびを作る、そ・と・で。このお赤飯、もちもちして腹持ちはするし、味はまあまあだしけっこう優れもので、ユングフラウヨッホの展望台でもこのおむすびを食べたっけ。で、出来たおむすびはさっきのおいなりさんの容器に入れて、明日の朝食となります。

消灯は8時だが夕食後はする事もなく、相変わらずゴロゴロ。早々と部屋の電気も消されてしまう。階下では公衆電話の側で携帯をもった人がウロウロ。圏外なので公衆電話からかけるも、番号が登録されてないので相手方が用心して電話を切ってしまうらしい。因みにこの公衆電話、姿かたちは固定だが番号自体は携帯(恐らく衛星?)の番号です。なので余計怪しまれてるに違いない。この人がめでたく相手方と話せるのはいつになるのだろうか?

Hoo それでは、おやすみなさい。

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2007年9月21日 (金)

谷川の人々

Tanigawa_original_2 お盆休みに谷川岳に行った。「谷川に行く」と山の仲間に言ったら、「滑落に気を付けて」とか「大丈夫?」とか、一様に心配された。遠く離れていると、谷川岳=魔の山のイメージしかないが、実際は、ロープウェイを利用すればこの時季、子供でも歩けるハイキングコースだ。

特に晴天のお盆休みとあって、実に様々な登山者がいて景色もだが、人を観察するのもけっこう面白かった。

先ずはこの地では有名な3000回おじさん。谷川岳を3000回登頂するのが目標で、多分毎週末歩いているのではないだろうか。その名はネットで知っていたが、丁度2-3日前の日経新聞にも手記が載っていて、なんか千回峰行の修行僧のようなイメージを持っていた。なので、ロープウェイのチケット売り場で遭遇した時は、「なんだ、3000回おじさんもロープウェイに乗るのか」と妙に安心したし、更にリフトに乗り継いで行くのを見て、「私と一緒じゃん♪」とちょっと嬉しくなった。

Doai ロープウェイへは、水上駅からも上毛高原駅からもバスが出ているが、今回は昔からの登山口「土合駅」に拘ってみた。新清水トンネルの誕生で昭和42年から下り線のホームが地下70mの所に置かれ、改札口まで462段もの階段を上がらないといけない。

前を行く60代と思しきご夫婦は長く縦走をするのか、二人とも60ℓ程の大きなザックを背負っている。特にご主人のザックはパンパンに詰められ、階段も休み休み上がっていた。水上駅からずっと一緒だったが、駅を出ても同じ方向に行く。途中で立ち止まって休んでいるのを追い越し、宿に着いて手続きをしていると、このお二人も入って来られた。テント装備も持っているようだが、今晩は前泊で明日は早くから山へ入るつもりなのだろう。

翌朝、少し遅めに食堂へ行くと、このお二人も窓際でのんびりと朝食を取られていた。ロープウェイが7時からなので、それに合わせて宿を出たが、このお二人はまだ食堂に居た。縦走テント泊は早立ち・・と思い込んでいたが、こんなにゆっくりして、アレだけの荷物で一体どこへ行くつもりなのだろう。

070814_062001 宿にはもう1人単独の男性が居て、食事はいつも向かい合わせの席だった。1人同士で話が盛り上がり、イイ具合に進展するか・・と何気に期待もしたが、食事の仕方が気になってそれどころではない。確かに品数は多いし、男性でも小食の人はいるだろう。だが、ちょっと箸を付けては残すのが多過ぎる。それも真ん中だけほじくり返すようにするから、まさに「食べ散らかす」状態。おまけにクチャクチャと音をさせて食べる。どんな聖人君子でもイケメンでも、食べ方の汚い男は願い下げだ。

混まない内に山頂に上がり、下山する頃続々と登山者が上がって来た。肩の小屋が営業小屋と聞き、ちょっと覗いて見ようと中に入ったら、丁度小学低学年の子供2人とその父親が飲み物を買おうとしていた。水かジュースで迷ったようだが、結局水のペットボトル3本を頼んだ。出されたボトルは表面にびっしりと水滴がついて、見るからに冷たくて美味しそうだ。

Katanokoyaおいくらですか?との問いかけに帰ってきた返事は、1200円!下界の自販機で買えば、所によっては1本100円の水が400円!ファミリー登山は実にお金がかかる。せめてロープウェイ駅の自販機で買えば、もっと安上がりなのに。それにしても、400円・・ロープウェイから歩荷するにしても慣れた人なら2時間弱の行程。水代にしてはチトぼったくり過ぎではないかいな。ずぇ~ったい冷やし賃が入っているに違いない。

この親子の他にも、様々な組み合わせのファミリー登山が多い。これも時節柄だろう。目に付くのが、お祖母ちゃんと母親と孫の組み合わせ。子供は手ぶらか小さなザックで、とにかく身軽でヒョイヒョイと登って行く。その後を、子供が勝手に先に行くのを制止しながら、お母さんが上がって行く。そして、少し間があいて、お祖母ちゃんが息も絶え絶えについて行くというパターン。子供とお母さんはユニクロ風の山の格好をしているが、お祖母さんはちょっとそこまでお買い物的な装いに、高齢者によく見かけるウォーキングシューズだ。楽な服装に楽な靴・・となると、これしかないのかも知れない。

Clibmer この炎天下、ただでさえ体温調節機能が衰えている高齢者が、通気・速乾効果のあまり無い服を着て、日傘をさしながらヨロヨロと上がって行くのを見ると、これから太陽が一番照りつける時間、日陰も無い山道を果たして無事に上がれるのかと、他人事ながら心配になる。

そうかと思えば、地元の高校生だろうか、上半身裸で脱いだTシャツを手に持ち、足元はといえばビーサン、それも一番安いゴムのビーチサンダルだ。一人は鼻緒の部分が切れたとかで、なんと裸足で歩いている。もちろん荷物など一切なし。せいぜい財布と携帯がポケットに入っているくらいだろう。

まぁ、ヨタヨタのお祖母さんと違って、こちらは血気盛んな若者だ。裸足でも何でも、とにかく5~6人の仲間で楽しそうに歩いているし、声を掛けてくるおじさん登山者には、屈託無くハツラツと返事をしている。荒行をしているが如くしかめ面で歩かれるより、その場が明るくなってずっと良い。足の裏をちょっとぐらい切ろうが、日焼けで肌が真っ赤になろうが、谷川の良い想い出になるだろう。少年よ、思い切り大地を踏みしめたまへ。

こんなに様々な人が谷川に上がれるのも、ロープウェイと晴天のお陰。ロープウェイの功罪は何かと取り沙汰されているが、晴れている限り万人を受け容れる谷川は、「魔の山」という名には似つかわしくない、大らかさがある。

(今回は山行記なので、写真は大サービスの総天然色フルカラーです)

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2007年7月27日 (金)

小屋食

Meal 最近の山小屋の食事は豪華だ。もっとも、山小屋に泊まり始めてまだそこそこ10年程だから、それ以上昔の小屋食は知らない。が、30年前の苗場や白馬のスキー場周辺の安い民宿の朝食に比べれば、3000m級の山岳地帯に建つ現在の山小屋の朝食の方が、遥かに豪華である。何しろ、安民宿の朝食なんて、ハムに千切りキャベツに目玉焼き、一盛りのポテトサラダの側にトマトが二切れ、大体こんなものだったのだから。但しご飯とお味噌汁はお代わりし放題だ。

スキー場へはスキーをしに行くんで、別に美味しい食事をしに行く訳ではない。そう割り切ってしまえば、別にオカズが佃煮だけでも構わなかった。安宿でもなぜか野沢菜漬けだけはどこも美味しくて、これだけで地酒!とご飯が進んだ。スキーが出来れば、食事なんてお米さえたらふく食べられればそれで良いという、まさに体育会系のノリである。

昨今の山小屋の食事の良さは、「山小屋の食事はマズイ」という理由での客離れを何とか抑えるためと聞いた事がある。しかし、3000mの稜線でそんなに旨い生姜焼きが食べたいか? 1日や2日新鮮なサラダが食べられなかいからといって、即成人病になるか? 山小屋に下界の旅館と同じ食事を要求する方がおかしいと思うのだが、それでお客が寄り付かないとなれば、山小屋も経営上何もしない訳にはいかないのだろう。

そこで登場するのが、救世主、ヘリコプター。もちろん、人が額に汗して歩荷して上げる時もあるだろうが、ガスボンベや資材などの重量物だけでなく、食料品に関してもヘリのお世話になっている部分が多い。そして多くの食材が上がれば、その分生ゴミの量も増えるだろう。最近は野菜等が入ったダンボール箱も接着剤や印刷のインクの関係で山上では焼却処分が出来ないと言う。で、これまたヘリでお持ち帰り頂く。

燃料高騰の折、輸送代もバカにならないだろうし、その分が宿泊費にはね返るのかと思うと、切り詰められるものは是非切り詰めて頂きたいと切に願う。そう、私は豪華な食事は山の環境に問題だ・・などというキレイ事を言うつもりは一切ない。ただ、単純に小屋の宿泊費は高い!と言いたいだけだ。

食事ばかりでない。街中の居酒屋の如く冷えた生ビールが、キンキンに冷えたグラスでサービスされる。セコイ話だがビールサーバーもグラスを冷やす冷蔵庫も電気を使う。

ある小屋のブログを見ていたら、お客様にフカフカのお布団で寝て頂くために、雨が続くと布団乾燥機を登場させるそうだ。そりゃ、泊まる方としては湿ったセンベイ布団よりこちらの方が気持ち良いに決まってる。従業員さんのお気持ちもあり難い。だが、湿ったセンベイ布団で寝たからといって、死ぬこたぁない。一度、あまりにも湿っていた布団なので雨具を着て寝たことがあるが、けっこう寝られるものだ。またまたセコイ話だが、布団乾燥機は電気を食う。

山小屋の電気は殆どディーゼル発電機で賄われているが、使用する軽油は(今問題になっているが)課税され、かさむ軽油代と税金で山小屋は悲鳴を上げている。それを宿泊代に反映せざるを得ないのも、仕方がない。

Dinner_2  だが、待てよ。美味しい食事にふかふかの布団。本来雨露を凌げれば良く、こんな山奥に存在するだけで御の字の山小屋に、お金を出してまで望まないといけないアイテムだろうか。以前五竜岳の山頂でお会いした、70代半ばと思しき女性が言われていた。「若い頃はお米を持って小屋に泊まりました。今は楽で良いですね」

小屋食はもっと質素であって良い。山小屋はもっと不便であって良い。非日常を求めて山に来るのに、そこに日常があるのはおかしい。買ってでも日常をほしがる金満登山客は、質素な食事にセンベイ布団では、もう来ないかも知れない。その代わり、宿泊代の高さや、金満登山客で混雑する小屋を嫌ってテント泊に逃げたお客さんが戻ってくるだろう。

「無いものは無いんだ」と、山小屋はもっとエバってて良い。そこにあるだけで、充分有り難いことなんだから。その代わり、もうちょっと宿代を安くしてちょーだい!

 

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2007年7月 8日 (日)

車間距離とってますか?

Shakan 行きつけのブログの一つに、山岳遭難ネタを扱っている所がある。サブタイトルに曰く、「山の遭難ネタばっかり書いている、覇気のないブログです」 書き手は山岳ガイドが生業で、夏場は山岳パトロール隊員や山小屋従業員でもあり、山の仕事がない時は旅のライターなどもしているという、梓林太郎や太田蘭三の小説に出て来そうな人物だ。が、遭難、特に中高年の遭難に対する考察は、引率者としての実体験を通したもので、具体的且つ的を得ていて、なかなか面白い。

「車間距離とってますか?」は、この書き手が、自分が引率するツアー登山客によく見られる現象の一つを綴った記事のタイトルだ。要は、中高年の登山客はなぜか前の人にくっついて歩く傾向がある・・というのだ。2ちゃんねる風に言えば、禿同、激しく同意である。全員とは言わないが、私の属する山の会でもそういう人がいる。特に友人はこの傾向が強く、前の人に背後霊のようにピタっとくっついて歩くのだが、これはもう殆ど癖と言っても良いだろう。岩場や下りのキツイ時など、前の人と間隔を空けて・・と言われればその時は注意して空けているが、気が付くとまた後ろにくっついている。本人曰く、遅れまいと一生懸命歩いていると、どうしても接近してしまうんだとか。

しかし、ご当人はそれで良くても、後ろに付かれる方は何か追われているようで、あまり気分の良いものではない。なので、彼女の位置は大抵、追われても気分的にあまり動揺のない(であろう)リーダーの次である。しかしそのリーダーでさえ、なんか後ろからせっ突かれている気分になるのか、段々と足早になるので後方の我々は堪ったものではない。

たまにメンバーの身内や友人がビジターとして参加するが、あまり歩き慣れてない人は普通、リーダーの次に歩いてもらうので、そうなるとそのビジターの後に友人が歩くという順番になる。ある時、ビジターさんの後ろに相変わらずピッタリとくっついているので、ビジターさんも堪らず、「私は遅いから、先に行って下さい」と言うのだが、友人は相手が遠慮してると取ったのか、「いえいえ、どうぞお先に」と言ってその順番を変えようとしない。「ゆっくり後ろを歩いてもらったら? じゃないと、なんか追っかけられてる気分ですよねぇ?」と私も助け舟を出すつもりで言うのだが、「いえいえ、ゆっくり歩いて下さい、大丈夫ですから」などと言って、一体何が大丈夫なんだか分からないが、結局友人はずっとそのビジターさんの後ろに付いて歩いていた。

そして、山もそろそろ下り終わる頃、木の根が階段状に這ってる所で友人が足を引っ掛け、前方にドオっと倒れた。幸い前のビジターさんとは位置が左右に少しズレていた為、巻きこむことはなかったが、ビジターさんの足元にいきなり頭から倒れ込んだ形になった。ビジターさんもさぞかし驚いたに違いない。もし友人の真ん前を歩いていたら、確実に一緒に倒されていたのだから。幸い、友人は掌をちょっと擦りむいた程度で大した事はなかったが、ビジターさんは、「私が前をトロトロ歩いていたから・・」と以降ずっと恐縮していた。

Shakan3 そして、本当なら入会する予定だったこのビジターさんは、「私にはレベルが高過ぎて・・」と言って、これ以来パッタリと来なくなった。後に聞いた話によると、ビジターさんの友人である別のメンバーに、「後ろで転ばれて、怖くなった」と語ったそうだ。友人がこの会に入ってから、約5年。このビジターさんもハイキング歴はあるようだが、少なくとも登山の経験に関しては友人の方が長い。経験者が、自分の不注意で初心者を怖がらせたり恐縮させてどーする!? 友人は、自分の派手な転び方が相手を怖がらせたと思っているようだが、恐らくこのビジターさんは後ろからヒタヒタと追いかけられ、おまけにあわや転倒に巻き込まれたかもしれなかったという事に、ヒヤリとした怖さを感じたのだと思う。

今回は大して傾斜のない樹林帯の中だから良かったが、岩場や或いは北アルプスの稜線辺りだったらそうはいかない。直接ぶつからなくても思わず飛び退いたら、自分も足を踏み外してしまったなんて事も起こり得る。例のブログでは鎖場での「車間距離」を特に指摘していたが、友人のように無意識に先行者に接近してしまう人は、平坦だろうが岩場だろうが鎖場だろうが、意識して前との間隔を空けるようにしないと、他人に迷惑をかける結果になってしまう。

見てて危ないな・・と思う時は、「もう少し間を空けた方が、良いんじゃない?」と声を掛けるが、どうしてもくっついてしまう・・と分かっているのなら、先ずは本人に意識して間隔を空けるてもらうしかない。友人は時々一人でも歩いているが、誰も居ない山での単独は恐いからと、登山者が多く出そうな土・日に、人気の山へ出かけるそうだ。知らない登山者の後ろにピッタリくっついて、相手に「追われる恐怖感」を与えてないか、ちょっと心配である。

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2007年6月28日 (木)

老リーダー つづき

Leader3 私から見ても、ここ数年で60代半ばである他の会員の体力はずいぶん落ちているように思う。素人の私でも分かるのだから、足の運び一つでその人の疲労度が分かる老リーダーの目には、それに伴う危険度も一緒に見えるに違いない。中高年の特徴として疲労は翌日か2日目にやってくる。2泊3日の山行だと、つまり、神経を使う下りに登りの疲労が襲ってくるワケだ。現に下りになるとガクっと膝が弱くなり、よく足を滑らす人がいる。小屋ではよく眠れないと言って、睡眠不足のまま歩いている人もいる。

この老リーダーは最後尾に着きながら、「足が重い」「昨日は眠れなかった」などという会員の何気ない会話を耳にして、全体での山行のレベルを考えているのかもしれない。というより考えねばならないのが彼の仕事だ。山の行き帰りに話す機会が多かったが、あくまで会の山行である限り、リーダーとしてなるべく全員が参加でき、安全に歩ける山やコースの選択を心がけているようだった。

だが、会員同士では個人の弱点はあくまで個人のものとしか聞いていない。夫々の弱点を把握した上での山行案作りまでは、なかなか考えが及ばず、結局、3000M級の場合殆ど同じ会員数名ばかりが参加し、行けない会員はいつも行けない・・という現象が続いていた。会員が好き勝手に作る山行案にアレコレ注文をつけるのは、裏に「そういう山行は個人で行ってくれ・・」という老リーダーの本音があったように思う。まぁ、実際二人で話していた時も、その様なニュアンスの事は確かに言っていた。

教室時代の講師と生徒という位置関係が、自主運営になっても面と向かって本音を言いあえる雰囲気の障害になっていたのは否めない。良く言えば、お互い遠慮しあってたという事だろう。その上にリーダー目線と会員目線のズレがあり、遠慮しあっている内にそのズレが修正出来ないほどになってしまったようだ。

私は「若いから」というだけの理由で(51歳でも60代と70代から見れば、文句なく若い!)、山行案作りをたまに任されるが、老リーダーの「いちゃもん」・・じゃなくて「注文」は、「はぁ~、そういう事もあるのか」「そこまで考えておかないといけないのか」と感心こそすれ、そうウルサイとは思わない。地図やガイドブックやネットを総動員して、色々可能性を探るのは面白い。

そして、その注文から派生して50年以上の経験から出て来る山の話も、楽しかった。50年前の涸沢での合宿話や冬場の後立山縦走の話など、山の厳しさや愉快さ、奥深さを知る良い機会だった。リーダーを交代しても顧問として残留してはどうか、という意見もあったが、そこは山ヤのプライドがあったのだろう、あっさり断られた。これで、昔話も聞けなくなってしまったのは残念だが、いつまでも自分が居ると新リーダーもやり難いだろう、という老リーダーの配慮を尊重することになった。

Leader4_1今、新リーダーの下、相変わらず皆で山行案作りに励んでいる。「これは個人で行ってもらいましょう」とハッキリ言われ、すごすごと山行案を取り下げる会員も居るが、これだけストレートに言われれば、後腐れもない。そして、今まで行きたくても、会として行けなければ我慢するしかなかった、もっと言えば誰かと一緒じゃないと行けないと思っていた山に、自分たちだけで行ってみようと、考えるようになった。これだけでも、もう一段階上の山歩きを目指す良いきっかけだ。

これからは、あれやこれや良いにつけ悪いにつけ助言してくれる人はいない。老リーダーの「いちゃもん」の中から、真に必要なポイントを拾い出し、自分たちの山行案に取り込んで、会員それぞれが充実した満足のいく山歩きをする事が、辞めていった老リーダーの本意であったと私は信じる。

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2007年6月22日 (金)

老リーダー

Leader 去年の暮、山の会の会長兼リーダーが交代した。半ばクーデターに近い交代劇であった。交代に伴い、会自体も一旦解散した。このリーダーも自分から勇退という道はあっても、まさか会員から引導を渡されるとは思ってもみなかっただろう。

登山教室であった当会が、教室閉鎖後新たに自主運営される際は、このリーダーに中心となって尽力してもらった。教室時代も講師として、足の運び方、ザックの背負い方など一から指導してもらい、遠出する時は自前のミニバン車をよく出してもらった、モチロン往復の運転付きで。いくばくかの謝礼は渡しているとは言え、会としては、かなり恩義のある人物である。

だが、通常の山の会にはない「謝礼」という特殊な事情もあり、3ヵ月近い話し合いの末、「今後、出社に及ばず」的な事実上クビの宣告となった。

経済的な理由もあるが、交代の最大の要因は年齢。確か70代前半くらいだ。3~4年前から足を痛め人工関節の手術も受けている。リハビリに努め山にも復活したが、ご本人曰く上りは大丈夫だけど下りがまだ辛いらしい。元々後輩を呼んでサブにつけていたのだが、コースによってはサブに任せて途中で引き返したり、時には最初から参加しない事も多くなった。この程度なら、リーダーもお歳だからしょうがない・・で終わるのだが、ある事件をキッカケに会員のくすぶってた不満が爆発した。

去年の秋、サブと会員数名で穂高を目指したのだが、こんな快晴は何年ぶりだという日に、このサブが麓の小屋で倒れた。町の病院まで会員1名が付き添い、他の会員は途中まで行って無念の思いで穂高を見上げるしかなかった。許せなかったのは、サブ本人が出発前日から具合が悪かったのを自覚していた事。にもかかわらず、誰にも相談せず黙ってやって来て、挙句の果てに倒れ穂高行きを台無しにしてしまった。

Leader2この時、にわかに会員の中で現リーダーの年齢と健康状態が心配になった。と同時に、山行案を自分の体調に合わせる傾向になりつつある事にも、不満が噴出。このままでは登りたい山にも登れなくなるという危機感で、一気にリーダー交代へと事態は流れて行った。

確かに、一頃に比べ同じ山でも楽な道を選ぶ傾向にあるし、3000M級に上がる時は例え自分が同行しなくとも、縦走ルートではなく、空身で行ける小屋滞在ベースの案を主張する場合が多い。どうしても縦走になる場合はエスケープルートや、登山口までの往復についてアレヤコレヤと計画に注文をつけ、楽しい計画案作りに水を差されたと感じる会員も少なからず居た。

だが私にはこの老リーダーの「いちゃもん」とも思える注文が、一概に自分だけの都合に合わせているとは思えない。今まで幸い大きな事故はなかったが、足首を骨折した、途中で具合が悪くなったなどが起きたのは、全て縦走ルート上であった。同じ3000M級でも空身の場合は、初心者が居ても何事もなく全員無事ピークを踏んで小屋に戻って来ている。この事実を会員はどこまで気付いているだろう。

この話、長くなりそうなので続きは、また後で・・

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2007年6月 3日 (日)

雨具は要りますか?

Zac_4 山歩きのグループに入ってもう10年近くになる。最初は某クレジットカード会社主催の登山教室だったが、採算が合わない事を理由に閉鎖になってしまった。仕方ないので有志でこの教室を自主運営し、お教室時代の講師をそのまま会のリーダーにスライドして、山歩きを継続することになった。それからでも、もう6年が過ぎようとしている。

今の会の平均年齢は恐らく60台半ば。最高齢は74-5歳、一番若くて47-8歳だがこの若手?は仕事の事情で準メンバーとなってしまったので、フル会員の最若手は私と友人の51歳である。これはもう、なにかと言えば非難の的になる、立派な「中高年登山の会」だ。

ウルサイ、団子で歩くな、遭難予備軍などと言われ放題だが、メンバーそれぞれただノー天気に歩いているわけでもなく、グループで山道を歩く時のわきまえ方も知っているつもりだ。遅まきながら、ただ付いて行く山歩きからの脱皮も計っている。元来団体行動は苦手なのだが、長続きしている理由は、ここのメンバーは人のことを根掘り葉掘り訊かないからというのが大きい。

ただ、、、

ただ、一つだけ「勘弁して!」とお願いしたいことがある。それは、食料品のお裾分け攻勢。往きの電車の中から出るわ出るわ、飴から始まり、ドライフルーツ、チョコレート、みかんにおせん・・じゃなくて、みかんにお饅頭。確かにどれも行動食としては一般的なものだけど、それを人数分持って来る必要はないんじゃない、食当じゃないんだから?!と思うくらい、回って来る。

「もう開けなくていいから・・」と言ってる側から封を切り、「持って帰れないから食べて」と押し付けられた日には、「だったら開けるな!」と心で怒って顔で笑ってるから、きっと複雑な表情になってるに違いない。

それに、ザックも結構重くなってるのかよくつまづいたりしてるので、リーダーも見かねて、「自分の行動食は自分の分だけ持ってくること」と一度お達しをかけたのだが、あまり効き目はないようだ。里ではきっと良いお母さん、優しいおばあちゃん、良く気の付くご近所さんなんだろうけど、それをそのまま山の世界に持ってきて、同じ評価が得られるかどうかは、ビミョーな所だ。

Buna_5 そして、勘弁というより気になるのが、たまにマイクロバスを仕立てて行く時があるのだが、いざバスを降りて山へ出発という時、必ず「雨具は要りますか」という質問がでる。今まで何回となく、晴れでも雨具は必ず携帯するように・・と言われているにも関わらず、雨の日を除いて、ほぼ毎回誰からかこの質問が出るのが不思議でしょうがない。

確かに雨具は重い。バスに置いてなるべく荷物を軽くしたい気持ちは分かるが、お饅頭を担げてなぜ雨具が担げない!? 

山で遭難者が出る度に地元の警察やマスコミは、「山をなめてはいけない」というコメントを出す。ニュースを見てる限り第三者としてもそう思うケースが多いのだが、こういう中高年登山者の実態を目の当たりにしていると、決して「なめてる」訳じゃなく、ザックに入れる物の価値観にズレがあるだけなんじゃないかと思う。

それを「なめてる」と言うんだと言われれば、そうかもしれないが、人がそれぞれ持っている価値観を他人が変えさせるのは、結構難しい。本人が、みんなに配るお饅頭より雨具の方が大事・・と思わない限り、「雨具は要りますか」は多分これからも続くのだろう。

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