2009年10月29日 (木)

ヒロ川島 みたび

ヒロ川島が大阪に来るというので、古い友人に声を掛けた。

Ukulele21人は去年の大阪ライブ時に20数年ぶりに再会した昔の仕事仲間、そしてこちらも会うのは25年ぶりくらいになる彼の前任者。ヒロ川島にとっても、25年ぶりくらいの再会になる。

去年来た仲間を誘った事は伝えておいたが、もう1人の方はサプライズにしようとヒロ川島には内緒にしていた。

さて、4半世紀ぶりの再会を果たしたヒロ川島の様子は・・

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2009年7月 6日 (月)

JAZZフェス

夏が来た。
夏と言えば、Jazzフェスだ。

しかし、世の中右肩下がりになってから、とんと見かけない。

Mtfujiblue_note_2Jazzフェス賑やかなりし頃、実際に行ったり、TVで見たりしたのを思いつくだけでも、

Live under the sky
Mt. Fuji Jazz Festival
斑尾 New Port Jazz Festival
城島高原 Jazz Inn
飯綱高原 Jazz Festival

まぁ、懐かしやぁ~。

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2009年2月20日 (金)

ヒロ川島 ふたたび

ヒロ川島がとうとうやって来た。

当地でライブをしたいと最初に言ってから、あしかけ4年。大阪までは来るけれど、なかなかここまで足を延ばせず、ようやく満を持しての登場だ。しかも、大阪2 daysの前にくっつけるという、大胆不敵なスケジュール。

2週間前に予約の電話を入れると、相席になりますとの事。
ほぉ~、なかなか客足は良さそうだ。

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2009年1月 5日 (月)

ぼくたちの八十年代 ディスコ編

会社が青山にあったので、遊び場はもっぱら六本木だ。

Jacket_m 当時はディスコとカフェ・バーが大流行り。ディスコはゴーゴークラブなんてダサい名前で既に存在していたが、"Saturday Night Feever"のお陰でディスコティークなんておフランスっぽい名称に変わり、ディスコティーク略してディスコとなる。

カフェ・バーは霞町交差点にあった「レッド・シューズ」が発祥らしい。霞町は今は西麻布というなんだか愛想のない名前に変わった。そう言えば、レッド・シューズのお向かいにアイスクリームのHobsonsがあって、どちらかと言えばお子様っぽいサーティワンを卒業した、大人のアイスクリーム屋という雰囲気だった。大人である証拠にアイスリーム屋のくせに深夜営業だ。友人の友人である電通マンがこのHobsonsの上に部屋を借りてて、さすが医者の息子だと感心したものだ。

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2008年12月24日 (水)

第九 2008

Leaflet_2 今年も第九の季節が来た。

愛しの尾高さんは、今年は芸術監督を務める北の大地のオーケストラで振っている。さすがに札幌までは行けないので、日程や時間的に都合のいい第九を探してたら、Xmas Spcial Concertと銘打った中に、第四楽章のみ演奏するプログラムがあったので、今年はこれに行く。

レニングラード国立歌劇場管弦楽団・東京ニューシティー管弦楽団・シエナ・ウィンド・オーケストラ。

3つのオーケストラが集合して、ブラスが大迫力の曲目と演奏だ。

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2008年11月16日 (日)

Ya Ya (あの時代を忘れない)

サザンオールスターズが今年でデビュー30周年を節目に、無期限活動停止に入るという。確かNHKのニュースでも流れたような記憶があるが、それぐらい誰もが「まさか!」と思ったということか。

全然サザンとは関係ないが、昔の先輩が勤続30年を機に会社を辞めた。誰もが定年まで居るだろうと思っていたので、こちらはこちらで内々的には「なぜ今?」という大ニュースであった。

30年と言うのは、何かしら人を動かす年数なのか。或いは50代になったという事実が何かしら人を考えさせるのだろうか。

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2008年10月 4日 (土)

Cocolo

Cocolo "Cocolo"(正式にはCocolo ukes)はウクレレの名前。以前登場したヒロ川島がプロデュースしたウクレレだ。そう、ジャズトランペッター ヒロ川島はウクレレ奏者でもあり、ハワイのウクレレメーカーのサウンドマイスターも務めているのだ。同僚当時はウクレレをプロデュースする程ハワイアンに精通しているとは知らなかった。現在組んでいるユニットのボーカルがフラダンスの先生でもあるので、その影響もあったのだろうか。

"Cocolo"はイギリスのデザイナー、Paul Smithの共感を得、今回コラボレーション製品としてフレットにPaul Smithのロゴが入ったPaul Smith versionが販売される事になった。その展示会兼デモンストレーションとしてミニライブが青山のPaul Smith のshopで開催されるというので行ってみた。イヴェント告知の写真では見ていたが、そこで初めて実物を目にした。写真は正面から撮ったのしかなく、今回後ろから見ての第一印象は、日本の寄木細工のようだな~ということ。

奇しくも、ミニライブ時にヒロ川島も同じような事を言っていた。彼によると、たまたまウクレレメーカーの工場裏に捨ててあった廃材を見て、これをボディに利用してみてはどうかと思ったのが始まりらしい。Paul Smith versionの場合は、Paul Smith shopの床材が使われているという。ボディの色具合から見て、1台に3種類くらいの廃材が使われているようだ。

樹木というのは、その成長ぶりがほんとに様々で、例えばブナだと70年かけてようやく幹周30cmくらいにしかならない。伐採できる太さになるには100年以上かかる。そうかと思うとお山の杉の子は数年であっという間に成長し、木材として切り出される。詳しくはわからないが、伐採時の樹木の年齢によって水分飽和度や密度・堅さなども、色々だろう。

"Cocolo"は今までにない音色と響きがその特徴らしい。確かに今まで1種類の木材で作られていたものが、性質も樹齢も違う木材の組み合わせで作られれば、人が想像する以上の新しい音が奏でられるかもしれない。どんな音が出るかは弾いてからのお楽しみ・・のようだ。まぁ、私自身はウクレレを触った事も弾いた事もないので、音の事は演奏者の耳に任せるとして、あの寄木細工のようなボディを見て思いを馳せたことがある。

それはハワイの日系移民。ハワイに限らず移民の先達は、日本を離れていても日本の文化や伝統を忘れていない。文化なんてそんな大袈裟なものでなくても例えば糠づけ。糠床が手に入らないブラジルでは、青いバナナを利用して糠床を作り何とか日本の味を残そうとした。味的には本物に敵わないようだが、糠づけならぬバナナ漬けという新しいものを生み出した。

Hawaii ハワイではヨーロッパの船員が来ていたシャツを、日系移民が手持ちの和服生地で仕立てたのがアロハシャツの起源である・・という説が有力だ。後年はその染色技術の高さを評価され、アメリカ本国ではなく京都から多くの生地が送られたという。こちらも日本と現地の文化が融合した良い例だ。

日系移民の人たちが、日本古来の寄木細工の伝統を用いてウクレレを作った・・という話は聞かない。だが、Paul Smith shopであのボディの裏を見た時、苦労が多い生活の中で、現地にあるものを利用しながら日本の伝統を残そうとした、日系移民の知恵と「日本」への望郷の想いが重なって見えた。ヒロ川島が何を思って『Cocolo』と名付けたか分からないが、私には「日本の心」がこのボディに宿っているように思える。裏側の写真がないのが返すがえすも惜しい。

"Cocolo"に込めたヒロ川島の思いはこちら → http://www.lovenotesjoy.com/hiro/

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2008年3月19日 (水)

ヒロ川島

Hiro ヒロ川島は、ジャズトランペッターにしてグローバルユニット"Love Notes"のリーダー。そして、私の可愛い・・50過ぎのオッサンを掴まえて可愛いもなんだが・・後輩だ。いや、確かに新卒時代のヒロ川島は可愛かった。洋服屋の息子だけあって、仕立ての良いスーツの上に柔和な丸顔。いかにも立教ボーイらしい、エエとこのお坊ちゃまオーラを放っていた。新しい物を買えば、嬉しそうに見せびらかす屈託のなさ。自慢話にも育ちの良さが垣間見られる。

そのヒロ川島と、最近20数年ぶりにゆっくり話をした。大阪に仕事で来るついでに当地でライブをしたいのだが、どこか店を知らないか・・という電話とメールが来たのが3年前。20年も音信不通なのに何故連絡が取れたかと言えば、同じく先輩であるカレが個人情報保護法を犯し、人に断りもなく電話番号やメアドをありったけ教えまくったからだ。

結局ライブは大阪だけになってしまったが、ここで20数年ぶりの再会となった。この時はこちらも友人連れであまり話す暇もなく、1st setと 2nd setの合間に感動のご対面をして終わり。20数年という時間がもたらす外見の変化に一瞬ひるんだが、まぁ、これはお互い様だ。翌年、ヒロ川島はユニットを連れて再び大阪にやって来た。又してもこちらは知人連れで、というより可愛い後輩のために宣伝マンよろしく、ジャズに興味ありそうな人を誘っていたのだ。山の会のメンバーにジャズ好きが居て、しかも偶然にもヒロ川島が師と仰ぐチェット・ベーカーのファンであった。この時もライブの前後に少し話をした程度で、考えてみたら薄暗いライブハウスの中でしか会ってない。長髪にメガネ、あごヒゲがあの丸顔を囲ってしまい、表情も良く分からないまま別れてしまった。

そして今年も、ヒロ川島は大阪にやって来た。最近映画の音楽監督を務め、その試写会の終了後に、ようやく明るい灯りの下でまともに顔を見ることが出来た。彼の人生もこの20年の間に、社会人として表現者として、そしてオトコとして色々あったようで、その歴史が確かに顔に刻まれている。まぁ、人としてはそれが普通で、「全然変わってない」と言われてノー天気に喜んでいる私の方が、人間として全く成長していないのかもしれない。

同僚時代に見てたソツのなさや、長年ユニットのリーダーを務めているというところから、根っから人と一緒に居るのが好きなのかと思ってたが、どちらかと言えば独り主義なのは意外だった。自転車乗り(曲芸ではない)でもあり、MTBかと聞くとロードレーサーだという。自分が風を切る音以外何も聞こえない世界が良いのだとか。スキーも好きだと言っていたが、どれも独りで出来るものだ。まぁ、これだけで独り主義と決めつけるのも早計だが、その他諸々の世間話で何となく同じ匂いが感じられるのよね。

でもだからこそ、主義主張を前面に表現するミュージシャンを束ねるリーダー役が務まるのかもしれない。何でも自分と同類にして申し訳ないが、独り主義の人間は自分中心に物事を考える。他人との付き合いの基準も、まず自分に合うかどうかが一番だ。どこそこのお偉いさんだからとか、皆がイイ人と言ってるからというだけで、無条件に迎合しない。周囲から偏屈だとか怪しげだとか言われる人でも、相手の主義主張や生き方が自分の感性にピタッと合えば受け容れる。相手のバックポーンや世間様の評価には左右されない、自分なりのニュートラルな立ち位置をしっかり持っている、そんな気概を20年ぶりのヒロ川島に見た気がする。

Love Notesのライブはスタンダードの良く知られた曲が多い。去年のライブにお誘いした方々の中には、オペラ好きで普段ジャズとは縁遠い生活をしている人も居たので、ちょっと無理に押し付けてしまったかな~と最初は気になっていた。が、昔どこかで聞いた事のある曲というだけで、そしてそれを生で聴けるライブハウスという空間に居るという事だけで、楽しい時間だったと思ってもらえたようで、ホッとしている。

Chet 昔のジャズ喫茶には、音に合わせ独り首を振り足を踏み鳴らし身体を揺さぶり、自分の世界に陶酔しているようなお客さんが多かった。「私語厳禁」の店があったり、扉を開けて一歩入ると店の人やお客に一瞬品定めされるような視線を浴びたりと、ジャズ好き以外は足を踏み入れてはいけないような雰囲気があった。

だが今は去年のマサコもそうだったように、格別ジャズ好きではないけれど、ふらっと入ってみました風なお客さんも少なくない。言い換えれば、ジャズ喫茶はジャズ好きの人の為だけにあるものではなくなった。老舗ジャズ喫茶が次々と姿を消していく中、誰もがふらりと入れるような店がかろうじて残っている。

ジャズは今や、ジャズファンだけでなく誰もが気軽に聴ける音楽になった、いや、そういう音楽をめざしたいとヒロ川島は言う。本を読んだりおしゃべりをしたり思索に耽ったり、ジャズが流れる空間で思い思いの時間が過ごせる、そんな居心地の良いジャズ喫茶みたいなライブ空間を作り出してくれると良いな、川島くん!

ヒロ川島及びLove Notesの情報はこちらまで → http://www.lovenotesjoy.com/

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2007年12月31日 (月)

第九

Himg0164 年末なので第九を聴きに行く。何故年末なのか・・という薀蓄はもう聞き飽きたので省略。以前はクリスマス恒例「くるみ割り人形」もセットで見に行ってたが、なかなか日程が合わず、最近は第九だけになってしまってる。

くるみ割りと言えば、松山バレエ団のクリスマス公演を毎年見に行ってた時期があった。ある年やけに警備が物々しいと思ったら、皇太子が観劇に来られていた。このチケットは争奪戦が激しく、ようやく端の方の席を確保したのだが、当然ながら皇太子は2階正面のVIP席へにこやかに入られて行く。つい数日前、別のコンサートだかバレエだかにもご臨席されたというニュースを見たばかりなので、「この暮の忙しい時にイイご身分だなぁ~」と思って気が付いた。そうかそうか、確かに良いご身分なのだ。

さて、第九。今年は久し振りの東フィルで指揮は尾高忠明。実は私、30年来の尾高ファンなのであ~る。軽やかなテンポになると、リズムに合わせて肩を揺らしながら棒を振る姿がいかにも楽しげで、優しい音を奏でる尾高さん。サントリーホールが出来た頃を境に強さや激しさも加わり、シンフォニーなどはよりドラマチックになった。

ピアノをしていたので、ソロはもちろんコンツェルトも聴くが、オーケストラの醍醐味はやはりシンフォニーだ。マーラーの五番も良いが、やはり第九がお気に入り。最大の理由は、楽器に人の声が加わるからだ。第九を聴くたびに人の声の力強さを感じる。物理的な音量ではなく、いわゆる心の琴線を揺さぶる強さと言うべきか。もちろん楽器だけでも、鳥肌立つくらい圧倒的な強さを持つ時もある。が、人間の声は楽器とはまた別物なのだ。

人の声には血が通っている。例えばカレの胸に抱かれてその声を聴く時、肌に直に声の振動が伝わり、そして耳には鼓動が聞こえる。トクトクと流れる血の鼓動。声と鼓動が共鳴して、今この瞬間をカレと私は生きていると教えてくれる。

第九はティンパニや打楽器が多用されるシンフォニーで、第2楽章などは「ティンパニ協奏曲」とも言われるらしい。第4楽章でも行進曲のようなメロディがあり、規則的にティンパニが鳴らされるが、これが人の鼓動のように聞こえるのだ。そして力強く高らかに加わる人間の声。ホール一杯に広がる声の振動を身体で受け、ティンパニの鼓動を感じて、生きようと思う力がフツフツと沸いてくる。

これだから、年末の第九はやめられない。

Tree 第九演奏会は普通、第一部で小曲を、休憩を挟んで第二部で第九という構成が多い。今回も第一部ではベートーベンのバレエ音楽の序曲が演奏されたが、この演奏時間が僅か5分。あっという間に15分の休憩時間となりちょっと客席がざわめいた。追い討ちをかけるように、「ただ今より、15分間休憩致します」という場内放送があり、ざわめきから笑いが起きた。もちろん実際には「15分間の休憩」とアナウンスされたと思うが、少なくとも客席の半分くらいは「15分間も」と聞こえたに違いない。かくいう私もアレは絶対「15分間休憩」と言ったと思っている。

隣に座った奥様はやたらと舞台に向かって手を振るので、尾高さんの熱狂的ファンかと思ったら、息子さんが団員なのだそうだ。休憩時間中ず~っと自慢話を聞かされるのには閉口したが、まっ、これも尾高さんの渾身の第九に免じて笑って流そう。そして、帰りがけに「東フィルをよろしく・・」と言われた。

はいはい、ご安心下さい。私、多分あなたの息子さんが生まれる前から、東フィル聴いてますから。

Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!

世の中の生きとし生ける者、そしてアナタへ...

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2007年6月18日 (月)

JAZZの似合う街

Honda_1 下北沢のマサコに行った。5~6年ぶりくらいだが、最初に行った頃と同じ佇まいだ。このご時世に有無を言わせず全席喫煙可。黒い壁にはジャズマンの古い写真や、サインや、色の薄れたメニューが貼られ、「2時間以上在店の方は、追加注文をお願いします」の張り紙もある。

壁一面の棚には、漫画全集やジャズ雑誌がぎっしりと並んでいる。木の椅子には手作り風の座布団。マサコは全然変わってない。ただ、店内を見回すとタバコを喫うお客さんはあまり居ないし、漫画本や雑誌を読み耽っている人もなく、友達とおしゃべりに興じたり、たまに携帯を見たりといった感じで時間を過ごしている。昔のジャズ喫茶には、紫煙けぶる薄暗い店内で、声を出すのも憚られる雰囲気の店もあったが、時代と共にお客さんも様変わりしていく。

マサコで軽く文庫本を読んで時間をつぶし、本多劇場で芝居を見た。

隣町に親戚が居るので、下北は小さい頃から出入りしていたが、本多劇場が出来た時は、下北沢もずいぶんと変わったなぁ~と思ったものだ。開演まで近くをブラブラ歩いてみた。小田急沿線のその他の駅がどんどん開発されきれいになっていくのと見ると、変わったはずの下北のこの雑多な雰囲気がいかにも「昭和」で懐かしい。

北口の市場は戦後の闇市場の名残だそうだが、叔母のごひいきの魚屋や八百屋に一緒によく買い物に行った。靴屋や衣料品屋、総菜屋に駄菓子屋といろんな店があり、この中を抜けて踏み切りに出るまで、子供にとってはめくるめくワンダーランド。最後に踏み切り手前の線路沿いの漬物やで、べったら漬けなんぞを買って一丁上がり。

この市場も今は殆どの店がシャッターを閉めている。夜になると数軒呑み屋として開けている店もあり、そこそこ賑わっていた。しかし、とうとう下北沢の駅にも再開発の手が伸び、地下駅にするべく工事がもう始まっている。井の頭線も含め完成は2013年頃だそうで、それに伴い駅前も整備され北口・南口にまたがった大きな広場となる。闇市の面影を残すこの場所が見られるのも、あと僅かだ。

北口も南口も、商店街は道幅が狭く小さな店がびっしり軒を連ねている。しかも、どの店も看板や商品を外にまで並べているから、道路に様々な色が溢れ、その間を、人と自転車と車が通り抜ける。

商店街にJazzは、、流れていない。

Masako_1でも、この風景をモノクロにして少し動きをゆっくりめにしてみたら、バックにJazzが聞こえてきた。人と物と色と喧騒がごちゃ混ぜの雑多な街、見知らぬ人とすれ違う時は肩が触れんばかりに接近してしまう街、そして数年後にはこんな風景が消えてしまう街。Classicでも歌謡曲でもない。シモキタにはJazzが似合う。

駅前再開発計画は、半径100mが対象らしい。マサコも消えてしまうかもしれない。店自体は真新しい平成の建物に移転して営業するかもしれないが、昭和のマサコはもうそこにはない。消えるまで(と決めつけているが)まだもう少し時間がある。それまでにマサコへ行って、この間どーしても名前を思い出せなかったピアニストの顔をもう一度見て来よう。

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2006年9月24日 (日)

JAZZ

私は大のJAZZ好きというわけではない。でも何となく、自分の周りにJAZZの匂いは常に漂っている。

子供の頃は、親が聴くGlenn Miller, Benny GoodmanのSwing Jazzや、Nat King Coleの甘い唄声に馴染んでいた。

Jazz 大学の時付き合ってた彼は、元々はオーディオ好きであった。キャンパスには「FMファン」を欠かさず携帯し、授業中にボールペンで何やら丸印なんぞをつけていたっけ。オーディオ好きはなぜかJAZZかClassicに傾倒するらしく、彼はどちらかと言えばJAZZを好んでいた。デートは大抵、渋谷の中央通り、東急プラザの裏手にあった「インクスポット」。

今となっては曲名も分からないが、Modern Jazzが流れる中、浮気相手のオンナがこれ見よがしに彼の膝に手を伸ばすのを、ガラスのテーブル越しに見つめていた。

社会人となり後に結婚する事になった彼は、学生運動にタバコにJAZZという典型的な全共闘時代の名残りを身にまとっていた。藤原新也の「東京漂流」や沢木耕太郎の「深夜特急」、竹中労の著作が並ぶ隣に、Blue Noteの名盤と言われるレコードがぎっしりと詰まっていた。休日の待ち合わせは下北沢の「マサコ」、高円寺の「JIROKICHI」には結婚前も後も、よく通った。

結婚生活は解消してしまったが、今でも日常にJAZZの調べが流れるようになったのは、彼のお陰かも知れない。

そして今のカレは、筋金入りのJAZZ好きというより、もはや「JAZZ好き」の範疇を越え、生活そのものになっている。彼の半世紀の人生の少なくとも2/3以上はJAZZと共にあり、彼の血と肉はJAZZで造られている、、と思う。(そんなアホな、でもホント) だからある理由によりcollectionの一部を人に譲り渡す時は、それこそ身を削る痛みがあったに違いない。しばらくJAZZから遠ざかるほど、その傷跡は深かったようだ・・と思っているが、真実は当人のみぞ知る。

何だか付き合うオトコに合わせてJAZZ好きの気分になってるだけじゃん・・とも思えるが、選ぶ相手のJAZZ濃度が段々と高くなってるのを見ると、私の中にもJAZZは深く静かに浸透して来ているらしい。

一言弁明させてもらうなら、どの彼であれ「これはイイ」と薦める曲でも、自分の感覚にピンと来ないものは、一緒になって誉めそやすような媚びた事はしない。特に批判もしないが、正直者の私は相手が気落ちするくらい反応もしない。実に可愛げのないカノジョである。

何枚となく薦められた、或いは贈られたアルバムの中から、自分の好きな曲だけを選んで聴くJAZZは、それぞれの彼と過ごした愛しい時間の中の、良い想い出だけに包まれているようで、心地良い。

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