2009年9月22日 (火)

北の人々(3)

今日も、富良野定番めぐり。

Butudan その前に、ツレのストッキングを買いに「ファッションセンター しまむら」に寄る。そう、今やジョシコーセイにとって押しも押されぬファッションの聖地、しまラー発祥の地、あの「しまむら」である。

しかし、富良野の「しまむら」はフツーにおばさん向けであった。隣の公民館?の駐車場では、移動仏壇売りが店を開いている。近くに商店街などない地方では生鮮食品や日常雑貨の移動販売はよくあるけれど、仏壇まで移動販売があるとは、さすが北海道。

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2009年9月20日 (日)

北の人々(2)

冬に続き、今年2度目の富良野。

Lavender 雪のないのがちょっと不思議な感じ。
大体、北海道は冬しか行かないので、雪があって当たり前の景色に馴染んでいる。雪のない北海道は1回だけ。ツレの引越しの手伝いに、GW中札幌に来た時で、その時札幌の道路ってこんなに広いんだと、初めて知った。

ホテルに行く前に、もう1ヶ所、富良野と言えばココというマスト(must)の場所に連れて行かれる。

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2009年9月15日 (火)

北の人々(1)

「北」と言っても、将軍様の「北」ではない。

Chiyoda_farm 2年間転勤で札幌に居住し、気持ちはすっかり道民のツレ(妹)と8月の終わり、美瑛と富良野を回った。

今回はすべてツレが計画してくれるので、楽チンだわ~と油断していたら、ツレの計画のベースが「家庭画報」だった為、普段の私には考えられないような、チョー贅沢セレブマダムの旅になってしまった。

後の請求がこわい・・。

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2009年5月12日 (火)

鉄子 その2

横浜まで鈍行で行った。

Sinkaisoku 学生時代に東京→神戸を各駅停車で行こうとしたが、寝坊して静岡まで急行利用という痛恨のミスを犯してしまった。それ以来いつかもう一度・・と思って幾星霜。なぜか今年の連休に俄かに思い立ち、鈍行の旅と相成った。

ただ、鈍行と言っても快速電車も利用しているので、厳密には「乗車券だけで行ける旅」である。○○駅、飛ばしてるじゃん・・という突っ込みはどーかご容赦下さいませ。

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2009年3月 1日 (日)

富良野の人々(2)

「森の時計」を更に奥に行くと、、、

Tokei その前に、アサーー!である。
昨夜降った雪が多かったのか、早くから駐車場で除雪車が動く音がする。カーテンを開けると、昨日の予報どおり曇り空。雪もチラついている

う~ん、どうしようかなぁ。もう少しゆっくり寝てようかなぁ。
こういう時、ヒトリストは便利よね。
でも、とりあえずご飯だけ食べに行こうっと。

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2009年2月26日 (木)

富良野の人々(1)

今回は富良野でヒトリスト。

Snowところで、「ヒトリスト」って言葉、いつ頃から出始めたのだろう。
長年、1人でスキーや旅や芝居に行ってるから、今更「ヒトリスト」なんてご大層な名称付けて語るのも何だけど、まぁ、流行ってる言葉もちょっとは使ってみたくて、こういう出だしにしてみました。

倉本ワールド・・じゃなくて、富良野へようこそ。

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2009年2月21日 (土)

フライト 第4便

1週間中に富良野・東京行きで離着陸計4回。

Himg0066むふふ、楽しいな。

最近は格安航空会社も飛んでるし、メジャー2社も旅割だの先得だのとお得感のある金額を打ち出し、以前より比べ、飛行機もアメリカ並に鉄道と同じ感覚で利用されている。

が、それでも乗り慣れてないのかなぁ~と思えるような乗客も居れば、慣れる慣れない以前の、公共交通機関利用の常識だろうと言いたくなるような行動を取る人など、空の旅で出会った人間模様。

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2008年11月20日 (木)

鉄子

Sayonara_2 鉄道ヲタクの男子を鉄ちゃん、女子を鉄子というらしい。

それじゃ時刻表好きで、就職試験の際履歴書の「座右の本」欄に、『時刻表』と書いた私も鉄子ちゃんかしらん?

『時刻表』が『駅すぱーと』に代わり、しばらくなりを潜めていた鉄子ちゃんだったが、SLに乗る機会があったので、ついでに11月一杯で営業停止となる0系新幹線に乗ってきた。

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2008年9月25日 (木)

フライト 第3便

荷物と言えば、、、怒涛のフライト 3部作

Luggage 2年前まで年に1回、アメリカで開催されるある製品の展示会へ、日本の販売店さんのグループをお連れする添乗員のような事をしていた。実際は身内が引率者なのだが、歳でもあるためその手伝いみたいな役割である。この展示会はアメリカの販売店協会主催で、展示会と同時にその協会の総会も開かれる。つまりは業界の寄り合いみたいなものだ。日本と同じように、アメリカでも「○○の里」やら「アメリカの心の故郷」やらがウリとなるような観光地で開催される。

country music の中心地、Music City、 Nashville ナッシュビルでの展示会に行く時、事件は起きた!

直行便がないので、どうしてもアメリカ国内で乗り継ぎが必要なのだが、United Air (UA)の格安チケットだった為、San Franciscoから一旦UAのハブ空港であるDenverに連れて行かれそこからNashvilleまで再度乗り換える。San Franciscoで入国し、まずは余裕でDenver行きに乗り込む。だが出発の時間を過ぎてもなかなか動かない。ドアを閉める様子もなく、乗客で誰か遅れている人が居るのかな~と思ってるところでパーサーからのアナウンスがあった。

「本日はご搭乗有り難うございます。当機は定刻○○時発、Denver行き△△便・・」 ふむふむ、どこも機内アナウンスは同じだ。アナウンスは更に続く。「ここで乗客の皆さまに良いニュースと悪いニュースがございます。良いニュースは、当機は出発の準備が全て整い、いつでも離陸できる状態でございます」 あ~、それじゃやっぱりお客さんが遅れてるんだなぁ。アナウンスは更に更に続く。

「悪いニュースは、キャプテン(機長)がまだ来ておりません」 はああぁぁぁ~~sign02 飛行機慣れしているはずのアメリカ乗客の皆様方からも、OHH~というどよめきが起きる。

「ただ今、代わりのキャプテンがこちらに向っておりますが、あと1時間ほどお待ち下さい」 げっ、Denverでの乗り継ぎが間に合うだろうか。

アナウンスは更に、乗継の確認や便の変更はカウンターまでなど、諸々の案内が続く。その最中から手荷物を持って出て行く人が居るので、こちらも乗り継ぎ便の確認をしにカウンターまで行く。DenverからNashvilleに乗り継ぐのだが、予定の便には間に合わないと思うが・・と言うと、何名かと聞くので11名だと言うと、それだけの人数なら待ってるから大丈夫と言う。ほんとかぁ~? 次のNashville便は到着が深夜12時近くになるから、予定の便に乗れるか乗れないかは、か~な~り大きい問題なのだ。

半信半疑のまま座席に戻り、グループの方々に説明している時1人の制服姿が乗り込んできた。乗客の1人が「Are you Captain?」と聞けば、「Yes!」の答え。気付いた人達からは拍手で迎えられ、急に呼ばれてアセったみたいな事を言いながら、コックピットに入って行く。こうしてようやくSan Franciscoを飛び立った。

Denverに到着した頃はやはりNashville便の離陸時間は過ぎていた。機外に出ると、さすがハブ空港。乗り継ぎ便ごとにスタッフが立ってゲート案内をし、カートも何台か待機している。私たちのグループも「Nashville行き 11名」の情報が入っていたらしく、とにかくゲートまで走れと誘導してくれる。年配の方はカートに乗せてもらいお姉さんの後について空港内を必死に走る。これがまた、けっこう離れているんだな。Nashville便のゲートは既に閉まっていたが、先を行くお姉さんが、ゲート口のスタッフに11名!と叫ぶと開けてくれた。本来ならカウンターで乗り継ぎ手続きをしてピリっと破られるチケットも、映画館のもぎりみたいにゲート口でお姉さんが破る。我々11名が座席に着くと同時にドアは閉められ、Nashville便は動き出した。どーも、皆さん、お待たせ致しました。

ふぅ~、何とか間に合ったと安堵するも、落ち着いたら一つ疑問が。荷物はどうなった?Denverに着いて人間が全力疾走で飛び乗った飛行機だ。乗ったと同時に確かにこの飛行機は動き出した。はてさて、いつ荷物を運び込む時間がある?この時点で荷物は99%諦めた。

AirplaneNashvilleに着き、それでも1%の期待をもって荷物台で待ってると、あ~らビックリ、出るわ出るわ、結局全員の荷物が見事に出てきた。しかし一体どうやって積み込んだのだろう。Denver空港内を走ったあの僅かな時間だけでは絶対ムリだ。時間があるとすればスポットに着いて我々が機外に出る順番を待っている間。とはいえせいぜい10分もない。その間に荷物庫から出された荷物がこれまた全速力でNashville便に運ばれたとしか考えられない。だが、それには我々の荷物が貨物庫のdoor sideになければこの離れ業は不可能。となれば、San Franciscoで機長待ちをしている間に、貨物庫内で荷物の移動が行なわれていたに違いない。

ハブ空港ならではのメリットを最大に活用した連携作業。飛行機大国、アメリカならではの出来事だ。もっとも、これもSan Franciscoで、「私ら、Denverで乗り換えるのよぉ、次の便じゃ困るのよぉ~」とアピールしたからの結果と思うので、何かあったらとりあえず主張しておくのが、肝要。さぁ、これからのフライトでは、一体何が起きるのだろう。わくわくドキドキの飛行機旅はまだまだ、続く。

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2008年9月24日 (水)

フライト 第2便

食事といえば、、

Jal_meal写真は今月のJALとANAのpremium classの機内食。な、なんて豪華なんだ。economy onlyの私には高嶺の花。Ana_meal

ロンドンからアムステルダム経由で日本に帰る際、ロンドン発の飛行機が遅れアムスで乗り継ぎ便に間に合わなかった事がある。airlineが代替で振り分けたのが南回りのバンコク行き。ドバイ、デリーを経由する各駅停車便で足掛け2日の飛行機旅だ。お陰で日本の家族からは一時期行方不明扱いされてしまった。離着陸の回数が増えるのは嬉しいが、空港を出るたびに食事が出る。機内食ではあまり評判の良くないairlineなので、いい加減ウンザリした所で、バンコクから先振り替えられたThai Airの食事の美味しいこと!海老のチリソースなんぞサイコーで、タイ米の白いご飯との相性は抜群であった。

あぁ、それなのに・・。ロンドンから同じように振り替えられていた某旅行会社のガイド研修ツアーの引率者は、研修生に「タイで積み込まれているから食べないように」と指示をしている。温め直しで表面がカサカサに乾いたさっきまでの機内食と違って、作りたてホヤホヤのふっくらとしたタイ料理が目の前にあるのに、引率者にそう言われたら食べるわけにいかない。せっかくの機内食を残して、研修生達は手持ちのお菓子などで間に合わせていた。まぁ~、お気の毒。

引率者の言い分はこんな感じ。

タイは衛生管理がまだイマイチなので機内食も安心できない。万一の場合、ガイドが食中毒を起こして倒れてしまったらお客さんの世話が出来ないので、安全を期して食べないように。

確かに一理あるが、これから世界各国を飛び回るガイドさん達なのだから、現地のものを食べてある程度免疫を作っておいた方が良いんじゃないの?と、引率者のお説を聞きながら思う私だった。それとも、ツアーのガイドさんって仕事中は機内食を含め現地のものを食べないのだろうか?? まぁ、20年ほど前の昔話だから、さすがに今はタイで調理された機内食でも問題なくこの旅行会社のガイドさんは口にしてるだろう、と思いたい。

さて、Thai Airの食事はタナボタで良かったのだが、南回りに懲りた私は次のロンドン行きは多少高くついても直行便にしようと、心に決めた。で、大枚はたいて乗ったJALのロンドン直行便。霧でヒースローが閉鎖され、フラクフルトに廻されてしまった。またかい!

霧は晴れずそのままフランクフルト泊まり。飛行機を降りた出口で翌日の振替便とホテルのvoucherを渡される。ヒースロー閉鎖の煽りを受けたのはこのJAL便だけではない。ホテルの夕食会場には足止めを食らった他のairlineの乗客も多数居た。どうして分かるかと言えば、会場のテーブル毎にairline名とfight No.が書かれた立札があったからだ。Indian airlineともう1社の乗客が、同じ会場になっていた。別会場にも同じ様に夕食が用意され、明日はこれだけの人がロンドン便のカウンターに殺到する訳だが、まだその凄まじさ、とりわけインド人の恐ろしさを知らない私は、思いがけないフランクフルトの夜をのんきに楽しんでいた。

翌朝、振り当てられたlufthansaのカウンターに行くと、列なんて生易しいものじゃなく、人の塊がカウンターの前に蜜に群れる蟻の如くたかっている。不覚にもちょっと寝坊して出遅れたのもあるが、順番なんて言葉は辞書にないインド系の方々に圧倒され、ようやくカウンターに辿り着いたのは、離陸時間の20分前。荷物は預かれないから持って乗ってくれと言われ、片手に大きなバッグ、片手に友人に頼まれた炊飯器を持ってフランクフルト空港の中を走る、走る。搭乗ゲートには、ここはさすがJAL、日本人staffが居て誘導してくれる。荷物も預かってくれると言うので、炊飯器だけ持って機内に入る。あぁ~、やれやれ。

Airport 今日はヒースローも朝から開いていて、無事着陸。ところが、荷物が待てど暮らせど出て来ない。最後までグルグル回っていた荷物も引き取られこれにて終了。搭乗ゲートで親切に預かってくれた荷物は、結局間に合わなかったのだ。luggage claimでバッグや鍵の形状、ホテル名を書いた用紙を渡し、炊飯器だけ持った情けない姿で到着ロピーに出た。空港までお迎えつきのツアーなのだが、「お客さん、さんざん、待ちましたぜぇ~」顔のお迎え添乗員さんと他のツアーの人と共にバスに乗る。ホテルではこれまた「待ちましたぜぇ~」顔の知人が迎えてくれた。

在ロンドン旅行代理店勤務20年以上の知人は、何があっても驚かない。事情を話すとフランクフルト-ロンドン間は何便も飛んでるから、今日中に荷物はつくはずと言う。でもま、万一の為にと知人宅でジャージ上下を借りた。んっ、男の独り暮らしなのに、なぜに女物っぽい上下? まぁ、野暮な詮索は止めよう。食事をして戻ってきたら、彼の言うとおり荷物がちゃんと届いていた。そう言えばヒースローのluggage claimのお姉さんも、よくあるのよねぇ~という感じだったし、飛行機移動が普通のヨーロッパ内じゃ、荷物の取りこぼしくらいどうって事ないのか。

飛行機が電車代わりのアメリカだと、荷物の扱いはもっとすごい。

これまた、長くなるので続きは次回。

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2008年9月23日 (火)

フライト 第1便

Landing 飛行機が好きだ、見るのも乗るのも。特に離着陸の瞬間がたまらない。離着陸だけのツアーがあったらきっといの一番に申し込むに違いない。以前カレと一緒に乗ったら離陸の直前から急に膝の上で手を組み出した。お祈りをしてるんだって。確かに航空機事故の多くは離着陸時に発生しているというから、お祈りする気持ちも分からなくない。が、だからこそ私はそのスリル感が好きなのだ。そして、なぜか私には飛行機事故では絶対生き延びるという信念がある。

以前、倉本聦が大原麗子と飛行機に乗った時の様子を書いていたのを読んだ事がある。倉本聦は飛行機が苦手で終始緊張していたら、大原麗子があの声で囁くのだ。「麗子は絶対死なないから。だから先生も麗子の側に居れば大丈夫だからね」 そ、まさにこの状況。お祈りするカレの隣で、「私の側に居れば大丈夫よ」と心の中でつぶやいていた。

この夏は立て続けに2回飛行機で往復した。夏休み中という事もあり、普段はビジネス客が多いこのフライトも、家族連れや帰省客が多くを占め機内の雰囲気もかな~り変わる。一番違うのが、子供の泣き声(たまに絶叫)。リーマンばかりだとさすがに泣き声はない。

子供は不思議なもので、搭乗前のロピーでは至極上機嫌で走り回っているのに、機内に入り椅子に座らされる頃からむずがり、後は着陸するまでずぅぅぅ~~っと泣き続けている事もある。親もだが客室乗務員も気にして子供用のおもちゃなど持ってあやすが、いっこうに治まる気配もない。私が利用するのはフライト時間がせいぜい1時間程度の便なので、まぁ、仕方ないか・・で済むが、これが2時間ともなると周囲のお客は堪ったものじゃないだろうなぁ。

パリ在住の友人がバカンスで地中海に向う時、子供たち(4歳と1歳くらい)には病院で処方された睡眠薬を飲ませて強制的に寝かせたらしい。友人曰く、泣き叫ぶ子供を飛行機に乗せるなんて、ヨーロッパじゃ非常識なのよ・・なんだとか。子供の保育園のママ仲間(フランス人)にそう教えられたという。確かにヨーロッパは総体的に公共の場は大人の場所として、子供といえどその秩序を乱す事は良しとしない。日本なら「子供なんだから仕方ない」で済まされることでも、ヨーロッパでは周囲の目が厳しい気がする。逆に言えば、子供もそういう場所に出れば1人の社会人としてみなす・・という考えなのだろう。

話はそれるが、ロンドンのバス内で初老のお祖母さんと一緒に小学校低学年くらいの男の子がバスに乗ってきた。目の前の席が空いたのでその子が先に座ると隣に立ってた全く他人の紳士が、女性より先に座るなんて何事だ!みたいな感じで男の子を注意した。日本ならその位の年齢の子を先に座らせても、誰も何とも言わない普通の光景だ。

男の子は慌てて立ち上がってお祖母さんに席を譲った。もちろん、お祖母さんも件の紳士を、「人の子を叱るなんて」と睨み返すようなことはせず、ちょっと会釈をし、孫には"thank you"と言って席についた。「いいから、○○ちゃん、座ってなさい」なんて注意した人が気まずくなるようなセリフは言わない。その紳士の、「gentlemanが女性を立たせるような事をしてはいけない」という言い方にも、「公共の場では子供も1人の社会人」という精神をかいま見た気がする。

話を飛行機に戻そう。

Menu先日、妹がわずか1時間あまりのフライトなのに、ファーストクラスを利用して帰って来た。夕食時だったので食事が出たそうだが、前菜とメインの2種類が夫々お皿に盛られ、ワインも饗されノンキに食べていたら、もう着陸態勢に入ってしまいデザートまで行き着けなかったという。飛行時間1時間と言っても、水平飛行は正味30分ほどだ。そりゃ、食べ切れないだろう。

ホントかどうか知らないが、以前ロンドンの旅行代理店スタッフに聞いた話。

ロンドン-パリのフライトもやはり飛行時間は約1時間。でも一応国際線なので意地でも食事を出すらしい。だが妹の例にもあるように水平飛行になってから食事を出しても、食べきれないお客さんも居るだろうし、何より食器を回収する時間がなくなる。なので、離陸してまだ上昇している段階から、CAさんが後ろのギャレーから坂道を登るようにワゴンを押してくるという。今ほど航空安全管理が徹底されてない時代の話だと思うが、機内の坂道をヨイショ、ヨイショとワゴンを押すCAの姿を想像するとおかしくて、話を聞いた時は皆で笑い転げたものだ。

食事といえば、、、長くなるので続きは明日。

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2007年12月19日 (水)

立山通り抜け 大町編

Kurobe さて、大町に下りる。山岳博物館にも寄りたいが、この時間だと大町着が3時過ぎ。寄って寄れなくもないがこの時期暗くなるのは早い。四季資料館はとうに諦めた。さぁ、どうするべ~かと悩みながら、トロリーバス乗り場へ。ここでもバスは3台ほど待っている。そして又もやあの中国御一行様と一緒だ。しかしこの団体のお陰か、臨時のロープウェイが出て結果的には予定より早いケーブルに乗れた。

大観峰からは、正面の赤沢岳を中心に左へ鹿島槍から唐松岳、右へ針ノ木岳から烏帽子岳まで、絵に描いたような大パノラマ。今度は向こう側からこっちを見てみよう。

Dam ケーブルを降りて黒部ダムの上を歩く。吹き溜まっている雪を踏んで、手すりからダムを覗き込む。おぉ~、「ホワイトアウト」の映像と同じだ。この映画は真夏の公開だったが、お陰で十分涼しくさせてもらった。

山の仲間のお嬢さんは小さい頃、目を離した隙にこの手すりの上を歩き警備員?さんが飛んで来たらしい。こちらもまた、親にとっては背筋の凍る出来事だったろう。子供ってホントに大胆。

反対側には満々と水をたたえた黒部湖。右端にロッジくろよんの建物がある。自分の中ではいつか行ってみたい下の廊下とリンクされていて、「ロッジくろよん」はロマンの響きがある。

Omati 黒部ダムは映画や小説で何かと題材にされているが、何と言っても「プロジェクトX」の功績は高く、ルート内でもそのビデオを紹介している。ここを通ると自然に「地上の星」が頭に流れる人も多いんだろうな。

アルペンルート最後のトロリーバスで扇沢に着く。ここでようやく中国御一行様とお別れ。路線バスで大町へ行く。駅から山岳博物館へは歩いて20分ほど。大町の商店街を少し歩くが、夏の白馬の閑散さを思えば、こんな中途半端な時期人通りの少なさはこんなもんでしょ。前に書いた老リーダーの言葉を思い出す。「登山者も観光客もみんな目的地まで車で行くから、地元は素通りや。山そのものは賑わっても地元に一銭も金が落ちへん。儲かるのは観光バスが発着する町や」。

Soba 山岳博物館では、松濤明の手帳や遭難を伝える新聞記事を展示している。一度実物を目にしたいと思っていた。本に印刷されている手帳より字が弱々しい。死がより近く感じられ、引き込まれそうで恐い。

また20分かけて大町駅に戻り、松本へ行く。松本に泊まるのは多分20年ぶり位だろう。下調べをまったくしてなかったので、何処へ食事に行こうか悩む。さすがに一人で鯛萬へは入れない。昔の同僚は、会社を早退しカレシと車を飛ばして鯛萬へ夕食を食べに行ったという。バブル時代の古き良きオハナシ。

カレシの車もバブルでもない私は、ここはやっぱりそば屋だろう。

Kobayasi ホテルの部屋に置いてある地図にあったそば屋へ行く。外に待ち客用のベンチが出ているくらいだから、そこそこ評判なのか。夕食にはまだ早いこの時間、お客は自分も含めて3組。ガランとしてて、TVからローカルニュースが流れ従業員がテーブルに座って箸袋かなんか作っている。田舎の駅前そば屋に入っている感じだ。その内2組が帰り、入れ違いにちょっと足の悪い年配の男性が一人で入って来た。定連さんらしい。「いらっしゃいませ。天蕎麦ね?あったかい天蕎麦一つ」 定連さん、一言も口を利かずに注文が通る。従業員さんはまた定位置に戻って箸袋の作業をしながら、「冷えるねぇ」などと定連さんと話をする。なんかイイなぁ、この雰囲気。

鰹節、ごま、海苔の3種の味で楽しむ、三味そば、1260円ナリ。

Marumo 食後は、20年前入ろうと思ってなぜか入れなかった喫茶店を探し探し、女鳥羽川沿いを歩く。暗闇にぼーっと浮かぶ看板、ココだ。ここも空いている。クラシックをBGMに読みかけの「ミッドナイト・イーグル」を読む。落ち着くのは良いけれど、こんなに空いてていいのか?と思う間にそろそろ閉店らしい。午後7時。けっこう早いのね。

翌日は松本城へ行く。そば屋と言い喫茶店と言い、松本観光の王道を行ってるな。ついでに言うと、お土産は開運堂だ、どーだ、参ったか。

お茶菓子で有名な開運堂だが、買ったのは「松本のかきもち」というお煎餅。これが美味で、今時だから店の通販でも買えるだろうと思ったら、通販では扱ってない。あら、がっかり。

「松本のかきもち」を買いにまた来なくっちゃ。

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2007年12月15日 (土)

立山通り抜け 富山編

Castle_2 黒部アルペンルートに行った。生来の雪好きもあるが、キッカケは船窪小屋。あるブログで、船窪小屋のオーナーが針ノ木越えの古道を2年かけてコツコツと整備し、今年の8月ようやく開通したという記事を読んだからだ。

佐々成政の針ノ木越えはつとに有名で、だからここでは書かない。もちろん黒部アルペンルートは成政が実際に歩いた道からは外れている。が、冬の立山越えの気分を味わってみたかった。思い立っての一人Ana_hotel旅。

  富山の街は黒部の玄関口だからだろうか、やたらとホテルが多い。薬売りのイメージで宿泊施設は商人宿風と勝手に思い込んでいたが、なんのなんの、ビジネスホテルにも外資系が入り、当然国内の大手ホテルチェーンも参入している。もしかしてホテル戦国時代?成政が居住していた富山城の向かいには、都会風の高層ホテルが聳え立っていた。

Toyama富山城から駅に帰る途中で見つけた銭湯、観音湯の古風な佇まいが、いにしへの商人町の面影を残している。(後で調べたら富山ではかな~り有名な銭湯らしい)

駅前ビルのテナントは、東京からの店が多い。車にしろ電車にしろ大阪からでも大して時間的には変わらないはずだが、やはり富山の顔も東京に向いているのだろうか。駅ビルの食堂で、富山名物「白えび」のかき揚げ丼を食す。800円。

Ebiten 泊まったホテルは1泊5500円のビジネスホテルながら、部屋といい館内の設備といいビジネスマンには使い勝手の良いホテルだ。ベッドヘッドの脇に小さな棚とコンセント。どう見ても、携帯の充電用だ。コンセントの位置の関係で、充電中の携帯を離して置かざるを得ない場合、夜中に鳴ると一々ベッドから出ないといけない。が、これならいつ鳴ってもすぐ出られる。廊下にはズボンプレッサーが2台置いてあった。

更に、朝食が秀逸。鰹や明太子のおむすび各種、インスタント味噌汁各種、洋食好みならパン各種にシリアル、カットフルーツにヨーグルトもある。ドリンク類もインスタントながら種類は多い。温かいスープも置いてある。これでナント無料、ただしセルフサービスの早い者勝ち。朝6:30からしているので、早起きは三文の徳ならぬおむすびの得である。飲食スペースの脇にはPC2台、多機能コピー機とファクス機が並んでいる。忙しいビジネスマンの朝にはピッタリの配置だ。

Teradaここ数日寒波のあおりで、立山バスは美女平までの折り返し運転の日が続いていた。幸い前日の午後から雪も止み、当日の朝は久しぶりに室堂まで運行するという。ラッキー♪ 電鉄富山から立山に向かう。

駅が図書館に併設されてたり、家々の軒先を走ったり、学生が乗り降りしたりと、生活の匂いがする線だ。寺田駅に停まる。宇奈月温泉行きホームとの間に待合室があるが、これがまたレトロな建物。昭和初期からこのまんまじゃないかと思って調べたら、昭和6年建造だそうな。鉄道マニアには有名な駅らしく、これに目を付けた私はやっぱり鉄子? 実は昔から時刻表好きで、鉄子の片鱗はあったのだ。

Bijo 立山からは通常はケーブルなのだが、点検期間中で運行休止。代行バスで一気に室堂まで行く。電車はガラガラだったのにアルペンルートの立山駅は人で一杯。殆どが中国語を話している。室堂の各小屋は今日の泊まりを最後に小屋閉めだし、この2-3日バスも美女平止まりだったので、さぞや山スキーヤーやらボーダーがひしめいているかと思ったが、1人も居ない。滑りたい人は大町側から入ってたのだろうか。

美女平から先の車窓には大好きな風景、青空と白い森が続く。これが見たくて遠路はるばるやって来たのよん。

Sanso室堂ターミナルは大町側から入ってきた観光客、スキーヤーにボーダー、一足早く着いた中国チームで大賑わい。昼食時とあってレストランからあふれ出た人々がそこここでお弁当を広げている。その隙間を縫って外に出た。うおぉぉ~、一面の雪だぁ~!そして白い斜面にはシュプールの跡。なんだかドキドキしてきた。いよいよシーズンが始まるんだなぁ、うひひ・・と自然に顔がほころびる。

Itinokosi ホテル立山のティーラウンジでアルプスカレーと、名水「玉殿の湧水」を使用した水出しコーヒーで昼食。2000円ナリ。リゾートホテルの落ち着いた店で、窓から雪山を眺めながら特製のカレーを食せる幸せ。ゲレ食のカレーとはだいぶ違う。ゆっくりしたら、次は黒部へ下りる。とりあえず、ここで富山編は終了。

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2007年11月27日 (火)

松本駅

Nagasi 久し振りに松本に寄った。上高地への経由地として通り過ぎる事は何回もあるが、泊まって街を歩くのは・・恐らく30年ぶり位かも知れない。時の流れの速さはげに恐ろしい。松本駅は、最近駅舎が新しくなった。ここ2年駅を通過する度にあちこち工事しているのを見ていたから、どんな風に完成したのか楽しみでもあった。

大糸線で松本駅に入った。「まつもとぉ~、まつもとぉ~」という女性の声のアナウンス(テープではあるが)は変わらない。語尾を少し長めに伸ばして言うのが、郷愁を誘う。昔は駅名のアナウンスは駅員さんの肉声で、大概語尾が伸びていた。長距離線のターミナル駅でこのちょっと間延びした駅名アナウンスを聞くと、旅が終わったんだなぁ~としみじみしたものだ。最近はテープで駅名もそのまま紋切り型で連呼される場合が多く、味気ない。

そしてもう一つ、松本駅で気に入っているアイテムが、ホームの大きな流し台だ。これも夜行列車がまだ盛んな時代は主だった駅のホームにあり、早朝到着した列車から降りたお客さんがここで顔を洗い歯を磨き身支度をして、夫々の目的地に向って行った。親に聞いたら戦前は蒸気機関車だから、窓を開けて乗っていると顔やら手がススで真っ黒になるので、それを洗い流すのにホームの大きな流し台は必須だったそうだ。

今や蒸気機関車も夜行列車もなく(季節でたまに走っているが)、ホームの流し台の役目も終わってしまったが、松本駅ではずっと健在で山の帰りによく使わせてもらっている。駅の改装でなくなってしまわないか心配だったが、ちゃんと残されていた。夏の暑い時期、重いザックを背負い慌しく松本駅まで来た登山者が、冷たい水に浸したタオルで汗をぬぐい、ほっとひと息つける場所が残されるのは、有り難いものだ。

改札を出て驚いた。まるでどこかの空港みたいだ。この間までお土産やがあり喫茶店があり「みどりの窓口」があり、それらに囲まれるように置かれていた椅子の間を、通勤客・通学客・観光客・登山客が行き交っていた雑多な雰囲気が、見事に一掃されている。全面ガラス張りの窓からは、雪をかぶったアルプスの峰々が見晴るかせ、さながら展望台のようだ。

Station昔は最終列車で松本に着き、登山口へと向う電車の始発まで駅でゴロ寝をしたものだが、最近はそれが出来ないと嘆くロートル登山者の声を聞いた事がある。改装前の松本駅でこれだから、今の松本駅じゃゴロ寝どころか下山後の汚い汗まみれの姿で歩くのも憚れる雰囲気だ。

外に出てみる。外見はそれほど劇的には変わってはない。ただ、真新しいエスカレーターの脇で、古色蒼然とした「松本驛」の木製の看板が何か居心地悪そうに縮こまっていた。駅前の広場には、「新宿まで2時間以内をめざす」と謳った広告塔が一際目立っている。新宿まで2時間以内・・松本はいずれ東京のベッドタウンになるつもりなのだろうか。早朝の松本駅は登山者ではなく、東京への通勤客で溢れるのだろうか。

松本は北アルプスの玄関口で、「岳都」とも呼ばれている。だが最近は車で直接登山口に行く人が多く、松本を経由して行く登山者の数も減ったのだろう。以前は駅前にあったという銭湯もずい分前になくなったようだ。例の流し台も名古屋行き中央線ホームにしか残されていない。登山者にとって松本駅は少し遠くなってしまった。その代わり東京が松本駅にヒタヒタと近付いている。

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