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2009年7月 6日 (月)

JAZZフェス

夏が来た。
夏と言えば、Jazzフェスだ。

しかし、世の中右肩下がりになってから、とんと見かけない。

Mtfujiblue_note_2Jazzフェス賑やかなりし頃、実際に行ったり、TVで見たりしたのを思いつくだけでも、

Live under the sky
Mt. Fuji Jazz Festival
斑尾 New Port Jazz Festival
城島高原 Jazz Inn
飯綱高原 Jazz Festival

まぁ、懐かしやぁ~。

Live under the skyは実際には行った事はない。田園コロシアムでしていたのは知っていたが、その頃はまだ行くほどのJazz好きでLive_under_the_sky_2もなく、ポスターがやけにカッコ良かった事だけ覚えている。今のJT(当時はまだ日本専売公社)がスポンサーだったから、たばことJazzをイメージした絵柄だったと思う。元夫がTVで見ているのを一緒に見始めたのは、既によみうりEASTに会場を移してからだった。

有名どころが豪華に出演する中、彼が所蔵するレコードの主以外で、ほぉ~コレは・・と印象深かったのが、Al Dimeola。夕暮れのEASTに流れるguiter duoが印象的で、これ以降Al Dimeolaの名前がずっと頭にあった。それが後々、たった一夜のThe Guiter Trioの為に東京とんぼ帰りをすることになる。調べてみると、Al Dimeolaが出演したLive under the skyは1986年で、duoの片割れは、Larry Coryellだった。

Mt. Fuji Jazz Festivalは確か最初はBlue Noteの冠が付いていたと思うが、それ以降の変遷はよく知らない。Live under the skyもだが、Mt. Fuji Jazz Festivalもなぜか日本テレビが1枚かんでいる。大体、Live under the skyがよみうりEASTに移った事からして、日テレの存在が大きい。で、元夫の仕事がら関係者チケットを手に入れ、確か2年目の時に山口湖へ向った。

前日からの大雨で、翌日時間通りの開催が出来るかどうか、ホテル詰めの関係者は右往左往していたが、まぁ、関係者とは言え運営当事者ではないので、どうなるのかなぁと前夜は傍観していた。当日も大雨だったら、イベント提携ホテルの大広間で開催する予定だったらしい。で、翌朝、雨は少し残っていたが徐々に上がってきた。野外での開催決定である。が、会場の準備が何も出来てない。先ずは、片隅に積み上げていた大量の椅子を並べなければいけないので、運営側はそりゃ、もう猫の手も借りたいほど。

一般客として並ばず、関係者出入口からの横入りを企んで入手した関係者チケットだが、そのお陰で朝ご飯も早々にオープン前の会場に入り、椅子並べのお手伝い。雨で足元はグジュグジュだが、遠くで「10時客入れで~す」の声も聞こえるし、ステージではリハーサルが始まってるし、とにかく必死に椅子並べをしたっけ。その後は快晴続きで、2日間ゆっくり鑑賞させてもらいましたです、はい。

Mt_fuji_198680年代のJazzフェスは、standard Jazz のみならず、いわゆるFusionの出演者も多かった。斑尾も第1回オープニングゲストはSpyro Jyraだったそうで、fusion色が強い。残念ながら斑尾は1回も行く事はなく、2003年を最後に中断している。

城島高原Jazz Innは、たまたまTVの深夜放送で見たのだが、こちらもfusion色が強いというより、殆どfusion。松岡直也やSquare、Casiopeaなどお馴染みの面々が出演し、元夫とアーダコーダとおしゃべりしながら見ていたのだが、最後のバンドが始まると次第に無口になって画面というか演奏に引き込まれてしまう。曲が終わると、ホ~っとため息をついて顔を合わせて、「ウマイね」と一言。それが、NANIWA EXPESSだった。

浪花というだけに、関西方面で活動していたせいか東京もんにはお初でそのインパクトは強い。彼らが東京でライブをするというので、正規にチケットを買って聴きに行ったのが、日野皓正と共演した、武道館でのその名も、SONY Beta Hi-fi Collage Tour。Sony Betaというのが時代を感じさせる。その2年後、NANIWA EXPRESSは解散した。

城島高原Jazz Innも1981年で中断したが、2004年からe-Beppu Jazz Innと名前を変えて復活している。

飯綱高原のJazzフェスは、まぁ、Jazzフェス流行に乗っかったという感じで、単発で数年間開催されていたようだ。たまたま隣の飯綱リゾートでペンションをしている友人が居たので、会いがてら遊びに行った。こちらもfusion色が濃かったが、元夫好みのstandard jazzもあり、坂田明が吹いていたのを覚えている。ピアノが山下洋輔だったかどうかは定かではない。

正直なところ、私はこの手のフリージャズはあまり好みではない。坂田明が吹いていても、どうしてもその姿にミジンコが重なってしまう。それに、ピアノは弾くもので叩くものではない。山下洋輔に限らず鍵盤を手の平や肘で叩くような奏法は邪道である、、と思っている。先日、「題名のない音楽会」で久し振りの山下洋輔トリオが「キアズマ」を演っていたが、相変わらず叩いていた。しかし、クラシック界でも現代音楽になるとピアノを叩く奏法も認められているようで、その場合楽譜には音符ではなく手の平マークpaperが書かれているらしい。やれやれ・・。でも、奏法は気に喰わないが、「キアズマ」はなかなかイイじゃない。

話しをJazzフェスに戻そう。

この頃のfusion系のJazzフェスと言えば、どこに行っても同じような面子が交代で出演していたが、中でも大活躍だったのがマリーン。最後に盛り上がるのはやはりMagicであるが、しっとりしたバラードにも良い味を出している。飯綱でのJazzフェスの際も、タテ乗りの唄の後にバラードを歌い出したのだが、一部のお客がそのままのノリで頭上で手拍子なんぞしていたら、一旦歌を中断して、「静かな曲だから、静かに聴いてね」と諭していた。当時まだ24-5才、なかなか、ホネのあるマリーンであった。

Yamashita_trio_2 室内のライブは、そりゃ、好きでお金払って来てはいるのだが、何となく良いも悪いも強制的に聴かせられる雰囲気だ。確かに、どう聴こうと個人の好き好きではある。しかし、周囲が盛り上がって立ち上がってる中で座り続けると言うのは、小心者の私にはすこぶる居心地が悪い。が、野外Jazzフェスは、聴きたい人は聞けば良い、つまらないと思えば寝てようが食べてようがご勝手に・・という自由さがある。音を表現する側に自由があるならば、受け止める側にだって自由があっても良いものね。

寝れるもんなら寝てみい!という表現者と、起こせるもんなら起こしてみい!という観客とのバトルも面白い。

スコーンと抜けた青空の下、お互いの自由な気持ちが翼を持って飛び交う野外Jazzフェス。復活を切に願う、、と思ったら、山下洋輔還暦トリオが日比谷の野音で同窓会ライブだそうな。オジサン達の夏はアツイ。

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