« ぼくたちの八十年代 ディスコ編 | トップページ | ぼくたちの八十年代 身内編 »

2009年1月 8日 (木)

ぼくたちの八十年代 人物編

Uekusa2 「ぼくたちの七十年代」には、知ってる人は知ってる、知らない人は知らないという人も含め、何人もの人物が実名で出てくる。

その中には、実際にお目にはかかってないけれど、多少なりとも関わったという人が居る。本には出てこないけれど、そういえばあんな人も居たな~、こんな人も居たな~と色々思い出す。当時の興味が芝居に向いていたので、どうしてもお芝居関係の想い出が多い。

Taiyouekusa 高平哲郎が敬愛して止まない、植草甚一さんは隣町に住んでいた。隣町と言っても住居表示だけで、境界線上にある我が家とは最寄り駅や商店街といった生活圏は同じである。通学・通勤で歩く駅前のすずらん通りや、駅への近道の途中にある児玉病院の前で、植草甚一さんとすれ違ったことがある。何で覚えているかと言えば、ハデなお爺さんだな~と思ったから。ハデというより、なんていうかとにかく目立っていた、小さいのに。

今は知らないが、30年前の経堂なんて一歩外れれば畑だし、すずらん通りもふつーの商店街で、ヤミ市の名残りっぽい場所もあったし、ふつぅーのじみぃ~な老若男女が歩いていた中で、わりと鮮やかな色彩の服を着てヒョコヒョコと歩いてられたから、とても印象深い。会社に入り、この方がかの有名なJ・J氏であると知った。だが知った時は既に遅く、植草さんは1979年に亡くなってしまった。知ったからと言って何するワケでもないが、道ですれ違った時に「あ、またハデおじさんだ」ではなく、「あっ、植草さんだ」と思いながらすれ違ってみたかった。

高平哲郎の飲み仲間の1人に、佐藤B作の名前が出てくる。この頃、「東京ボードビルショー」や「東京乾電池」の舞台の一場面だか、番組独自の寸劇だか、とにかく彼らが出演している深夜の帯番組があった。確か他局では三宅裕二率いるSETの番組もあったっけ。この頃の局の編成には芝居好きが多かったのだろうか。

で、興味を持った私は実物を見に行った。ボードヴィルショーは渋谷のエピキュラス、東京乾電池は渋谷ジャンジャン。日露漁業協定の200海里問題がニュースになってる時で、佐藤B作扮するロシア人が、隣の日本人と言い合いになって最後にこう言う。「そんなこと言うなら、鮭やらねぇぞ、サケ」 しょぼ~んとする日本人。観客席はウケた。

エピキュラスのボードヴィルショーの公演時に入口でビラを配っていたのが、乾電池だった。思わず「これ、行きたかったのよ」と言うと、「ぜひ、来てください!!」と元気よくお辞儀をされたので、ビラに書いてあったジャンジャンへ行く。

柄本明と同居している角替和枝(あくまでも劇中のハナシです)が、あまりにも愛情が深くトイレへ行く柄本明にもくっついて行こうとする、その時の柄本のセリフ。「オマエは愛情と異常を取り違えているんだよ!」 確かにアイジョーとイジョーは紙一重。一緒に行った同僚がこのセリフにかなり反応していた。心当たりでもあるのか? ラジオから競馬中継が流れる場面、「今日のレースは何?」の問いに角替和枝はこう答える。「ん?浩宮成年式お笑い記念」 そう、1980年は皇太子殿下が20歳を迎え、めでたく成年皇族となってマスコミはお祝いムード一色であった。まぁ、あまり大きな声では言えないセリフだぁね。

Satob ジャンジャンといえば一度 イヨネスコの「授業」を見に行きたかったのだが、週1回金曜だけの、しかも夜10時開演なので帰りのことを考えるとなかなか行けない。演ずる中村伸郎の体調もあってか、1983年に惜しくも終了してしまった。それにしても、ジャンジャンは実に私好みのイイ空間だった。まさしくアンダーグラウンドで、あの密閉された空間の熱気の中で見る不条理演劇ほど、内に秘めたる興奮をもたらすものはない。今、下北のスズナリで、唐十郎の「秘密の花園」を乾電池が公演している。うぅ~、見たいよぉ~。と思ったら、2月は本多劇場でボードヴィルショーだ。いいなぁ、シモキタは。

密室劇?で既に君臨していた唐十郎と、吉祥寺の中華料理屋で遭遇したことがある。ビルの2階にある、カウンターとテーブル席4つほどの小さな店だ。ここのオヤジがこだわりのある人で、年に3ヶ月は店を閉めて台湾へ修行しに行くという。その味は会社でもそこそこ評判になっていた。ここのレバーの唐揚げが秀逸。カラっと揚がった新鮮な豚レバは、外はカリカリ、中はじゅわっとまだ血がしたたるようなレア。新鮮じゃないと食べられないし、揚げて時間を置くと中の血が染み出してカリカリ感もなくなり、風味が落ちる。なので、こだわりオヤジとしては、揚げたらすぐ食べて欲しいのだ。

ところが、カウンターに座った唐十郎は、連れと話に夢中で、置かれた唐揚げに一向に手をつけない。カウンターに座るってことは、テーブル席より更に早く揚げたてが食べたいっていう意思表示なのに、料理をほったらかしにしている。そりゃ、オヤジも怒ります。しばらく何やら言い合いをしていたが、最終的には「食わないなら帰れ」になったようだ。「もう二度とこの店には来ないからな、覚えとけ、オヤジ!」と言い捨てて、唐十郎は何も食べずに店を出て行った。2丁目界隈の武勇伝を聞いていたから、椅子の一つでも投げるかと思ったら、けっこう大人しかったなぁ。七十年代だったら絶対投げてたに違いない。でも、やっぱり唐十郎はアノ唐揚げは食べるべきだったと思う。

そんな唐十郎が、孫に目尻を下げ息子の離婚問題に頭を悩ます普通の親になるとは、想像もしなかった八十年代。さて、次回はもう少し身近な人たちのお話しを少しバラしちゃおう。

|

« ぼくたちの八十年代 ディスコ編 | トップページ | ぼくたちの八十年代 身内編 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/189921/43645504

この記事へのトラックバック一覧です: ぼくたちの八十年代 人物編:

« ぼくたちの八十年代 ディスコ編 | トップページ | ぼくたちの八十年代 身内編 »