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2009年1月13日 (火)

ぼくたちの八十年代 身内編

さて、ここからは実際に私の周りに居た人たち。

広いギョーカイのほんの片隅にあった、人物往来です。
多分一生目に触れないと思うけれど、万一見つかって、もしかしてコレって私?とか、私はこんなこたぁしてない!と文句がある場合は、ご連絡下さい。

昔の仲間が集まると語り継いでいる話なので、まず間違いはないと思うけど、まぁ、多少のオヒレがつくのはギョーカイのお約束ってことで、許してちょ。

Wine_glass 高平哲郎が古巣の代理店に入社した際、ビートルズ御一行様が宿泊した今はなきヒルトンホテルでのYear End Partyに呼ばれ、さすが外資系と思ったという。しかし、イヤーエンドだけで驚いてはいけない。この会社にはフレッシュマン・パーティーなるものもあるのだ。

簡単に言えば、新卒社員がパーティーを開催するというイヴェントである。Year End Partyは会社にお呼ばれされる立場だが、Freshman Partyは場所から、食事から、出し物から、内装から、チケットから全て新卒だけで企画・準備をする。期日は大体7月頭ごろと決められているので、慣れない仕事をしながら、準備期間3ヶ月で人様を呼べるようなものにまで仕上げないといけない。ご祝儀とは言え、一応社内外の人にパーティー券を買ってもらうのだから、新人とは言え広告人として恥ずかしいものは見せられない、、と上司より釘を刺される。

とりあえずコンセプトを決めないと何も出来ない。私たちは某局の熱海の保養所をかりて合宿をし、南のリゾートの雰囲気を作り出そうと決めた。観葉植物を目一杯配し、高平哲郎が見出したトランザムを呼んでミニライブをしてもらう。リンボーダンスやバンブーダンスはお客さんたちも参加して盛り上がる。リンボーダンスでは張り切りすぎた先輩のズボンのお尻部分が破れ、同期が片隅で縫うというサービス付き。私たちの衣装は、お揃いのTシャツと南国風ボトムス。フレッシュマン・パーティーはそれなりに盛り上がって終わった。まぁ、まずまずだったんじゃない・・という自己評価であった。

そして翌年、あのヒロ川島を擁した次の代のフレッシュマン・パーティーが開かれた。うっ、せ、洗練されている。なんてソフィスティケートされてるんだ! リンボーダンスなんて泥臭いことはしない。どこから集めたのか豪華商品をかけたビンゴゲームで盛り上がる。彼らのコンセプトは1920年代のアメリカらしい。テーマ曲はBlues Brothersのあのテーマ曲。女子の衣装は20年代の踊り子風でカネがかかっている。おまけにこの代は美人だらけと来た。ヒロ川島が吹くテーマ曲に合わせて、新卒全員がステージで軽やかに踊る。ステップ踏みながらトランペットを吹く川島もかっこいいじゃないか。アンコールが何度も起きる。

私たちのリンボーダンスはなんだったんだ?orz
その次のフレッシュマン・パーティーは・・・忘れた。

高平哲郎が最初の坂田Gから別の制作Gに部署変えになる場面で、タンポンをコップの水につけてふやかしている?人の描写がある。このタンポンのクライアントも会社にとっては大きなクライアントだった。本社がすぐ近くにあったので、アチラの担当者もちょくちょく営業を訪ねてきてたようだ。某日某晩、担当営業数名がタバコを吸いながら残業をしていた。そこに、突然このクライアントの社長が現れる。背後の人の気配に気付いた、この営業に来たての女子社員が、片手にタバコを挟んだまま振り向きざまにこう言い放った。「あ~ら、社長、いらっしゃぁい」 他の担当者が慌てたのは言うまでもない。

この「あ~ら、いらっしゃい」嬢はボディコンを見事に着こなし、その華麗なるファッションセンスは社内でも評判であった。某日某夕暮れ、今日も身体にピッタリのミニワンピを身にまとった彼女と、当時サーファーに流行っていたチューブと言われる、要は腹巻を胸まで上げましたというトップにミニの巻きスカート(まっ、どう考えてもビジネス仕様ではありません)の先輩が、出窓にひじを突いて新宿の高層ビルに落ちる夕陽を眺めていた。並んでお尻を突き出すような二人の後姿を見て、部内の男性がつぶやいた。「ここはキャバレーか・・」

このチューブ先輩は、大体いつもこんなかっこで、原稿を持って新聞社を廻る。一言も二言もあるお堅いオジサンが集まる、右翼に社長室で自決されちゃった某新聞社の広告部では、彼女が歩くとそのオジサン達の視線が一斉に後を追うと言われた。

男性はともかく、女子社員の服装に関しては無法地帯の部署であったが、入社翌年、ついに局長よりジーパンご法度令が出された。ジーパンが制限されると勢いトップの選択も制限されるので、無法とまではいかなくなったが、それでも夏など「どこか海へお出かけですか?」的雰囲気は残っていた。

Mt_fuji 60人が一同に机を並べるこの部屋は、パーティションもなく端から端まで見渡せ、西側一面は窓になっている。21階からの眺めはなかなか良い。空気が澄んだ日には、新宿の高層ビル街の向うに丘陵地帯も見えた。夕暮れのみならず雨や雪の日に佇む高層ビル群もイイし、季節によって移ろう光の変化も感じられた。当時はファクスすら部に1台で、連絡事項は殆ど電話だった。今は部署ごとに区切られ1人1台ずつコンピューターを使い、画面が見にくいという理由で、1日中ブラインドが閉められ外の天気も分からないという。

1990年代バブルが弾け、文字通りあぶく銭商売のギョーカイは苦しい日々が続いている。数年前には怪しげなIT企業に一杯くわされ痛い目に遭った。よそのギョーカイ仲間には、アソコに手を出すほどまでになったか・・とまで思われたようだ。個人的には風水なんてものはあまり信用しないが(だって、風の通りなんて今更言われる事じゃなく、当たり前のことだもん)、一度パーティションを取っ払い、ブラインドを上げて光を入れたほうがイイんじゃないかと、80年代バブル社員は老婆心ながら思っている。

えっ、時代が違う? それは余計なコトを申しました。

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