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2008年10月24日 (金)

本 第二版

柴錬みたいな大衆小説より、文学を読め。

Book 毎日学校で会えるのが嬉しくて仕方ない年上のボーイフレンドにこう言われて、シバレンモードが一気に萎えた。彼が又、同級生ながら色々な経験をしている3歳年上で、ちょっと正体不明と言うのも妙に説得力があった。確かに本もよく読んでいて博学でもあり、言ってみれば、「薔薇」という字が書けるだけで、アタシのカレシって頭イイと思うオネーチャンの気持ちが良く分かるという感じでしょうか。(^-^;

で、柴田翔の「されど、われらが日々-」を渡されたわけだが、シバレンモードが萎えたと同時に何となく本自体への執着みたいなのも落ちてしまい、時を同じくして芝居の方に興味が向いた事もあり、しばらく本からは遠ざかってしまう。

社会人になってからは、母曰く「ギョーカイにどっぷりと肩まで浸かった」バブリーな毎日で、ほぼ毎夜六本木辺りに出没し、本なんて読むヒマもない。そこで出会った元夫はプチ左翼系。まことしやかに理屈を並べ、やたら弁が立つ。独り暮らしでお金に困ると、紙袋に詰め込んだ文庫本を両手に提げて古本屋へ行き小銭を稼いだ、という話を聞かされて、本をたくさん読んでいるんだな~と単純に感心した。部屋に行けばJazzのレコードの合間に文庫本、単行本や「太陽」といったいわゆるムックがゴロゴロしている。

家の狭さのために、本棚に囲まれて暮らしていた環境のせいか、本が多い空間に居るとなぜかホっとするというか安心してしまう。結婚して分かったのは、本の嗜好が違うということ。元夫はSFファンタジーがお好みで、夢枕獏の「魔獣狩り」シリーズを次から次へと買って来たが、その面白さは最後まで分からなかった。後に今のカレに「神々の山嶺」を渡されて、へぇ~、こんな本も書くんだと知ったのだが、この「神々の山嶺」が柴田錬三郎賞を受賞したというのも、何やら因縁めいている。

沢木耕太郎の「深夜特急」を知ったのも元夫の部屋だ。そして本ではないが毎月購読していた「写真時代」も、最初は何コレ、エロ本?と思いながら見ていたのだが、次第にアラーキーの感性や赤瀬川原平の写真エッセーに惹かれるようになった。アラーキーは確かに天才だ。色使いが不思議でステキ。共働きでじっくり活字を追う時間もなく、あげく当の本が遠因でブチ切れ家を飛び出した。

それ以来本とは殆ど縁のない生活だったが、目の前に本あれば、何の抵抗もなく自然に目が文字を追う。今まで読んだ本が果たして今の私の根っこになってるかどうかは分からないが-ただ、狂四郎の『明日のために今日を生きてはおらぬ』はかなり引き摺っている-少なくとも「本を読む」という行為は既に身体に染み付いていたようだ。

カレと付き合い出して、また本が日々の生活の中に常に在るようになった。逢うたびに2冊くらいは渡され、おまけに後で「読んだ?どうだった?」と感想を求められるので、読まざるを得ない状況に追い込まれる。でも、苦痛なことは決してない。もらった本の作者がらみで、自分で探し出して読んでみる事もある。本屋や古本屋は、TDLやUSJ以上にめくるめくワンダーランドだ。

ただ、本を読むこと自体は楽しいのだが、集中力が以前のように持続しないことが哀しい。学生時代と違って時間がコマ切れに制約されるというのもあるが、本に入り込める加速度が昔より遥かに落ちている。古本が多いので活字が小さく、それも集中力を殺ぐというのもあるのかも知れない。やはり、東急ハンズの2500円のreading glassじゃダメか。

Hondana 先日、今まで書庫として使ってた部屋を別の用途に使う事になり、本を大々的に処分する事になった。本を捨てるのは忍びないが、スペースを空けるにはどうしても残す本と処分する本を選ばなければならない。久し振りに見る本もあって、あぁ、こんな本もあったか、あんな本も読んだのかと懐かしむ・・場合じゃない。半分くらいに減らさないといけないので、心の片隅でチクリと痛みを感じながら、それでも思い切って半分に減らした。一旦肝が据わればエイっと捨てられるのがオンナの常。捨てずに捨てられずウジウジ悩むのがオトコの性(さが)。

ガランとした本棚の僅か二段が私に割り当てられたスペースだ。その内一段は写真が占めてるので、本が置けるのは一段のみ。この歳になると、たとえひん曲がってようと根っこは出来上がってしまっているから、これから読む本は、殆どが翼となるだろう。捨てきれずに残った私の根っこの横に、これからどんな翼がここで羽を休めるのか。

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2008年10月21日 (火)

本 第一版

今振り返って,私にとり,子供時代の読書とは何だったのでしょう。
何よりも,それは私に楽しみを与えてくれました。そして,その後に来る,青年期の読書のための基礎を作ってくれました。
それはある時には私に根っこを与え,ある時には翼をくれました。この根っこと翼は,私が外に,内に,橋をかけ,自分の世界を少しずつ広げて育っていくときに,大きな助けとなってくれました。

Dowa これは10年前のIBBY((国際児童図書評議会)で美智子皇后がスピーチされた基調講演の一部である。

JFKの"ask not what your country can do for you -- ask what you can do for your country" や、キング牧師の "I have a dream"に匹敵する名フレーズだと、私は思っている。この講演内容が本になったとき付けられたタイトルは「橋をかける」。他にも「橋をかける」に繋がる、後々よく取り上げられるフレーズもあるのだが、私の中では「根っこと翼」の言葉に勝るものはない。

幼稚園児の私は、母親が買い物に行く時も留守番を選び、その代わりお土産に頼むのが「本」だった。親は本好きな出不精の子供と思ったようだが、実は母親がつけている香水が苦手で、乗り物に乗ると気持ち悪くなるのがイヤというのが、ほんとの所だ。でも、本好きというのもほんとだ。お土産はたいてい、講談社の絵本だった。画と文で構成されているシリーズだが、ディズニー原作の場合は映画のスチール画像と文のもあったと思う。今でも覚えているのが、「ポリアンナ」。とうもろこしを食べているシーンが印象に残っている。調べてみたら1960年公開だそうで時期的にもピッタリ。感銘した本って記憶に残ってるものなのねぇ。

他に、定番のひろすけ童話やぽぷら社のイソップ童話も買ってもらってた。

小学生の後半は、前にも書いたように友達に干されていた3年間だったので、本を読んで時間を潰す事が多かった。但し、決して『仕方ないから本を読む』・・ではなく好きで読んでたのだけどね。近くに住む従兄弟が確か小学館の少年少女名作全集を持っていたので、1冊2冊と持ち出していたのだが、最終的には残り全部を引き取ってしまった。寝る前に布団の中で読む事が多かったのだが、コナン・ドイルの「パスカヴィル家の犬」なんぞは、寝静まった夜に読むには、まぁ、ページをめくる度にドキドキ・ビクビクもので楽しいお話でした。

名作全集も読破し、さぁ、他に読む本はと見回せば、頭上のスチール本棚(なにせ狭い家なもんで)にあったのが母が結婚時に持参した近代文学全集。ほなら、これでも読むかと小学生にして林芙美子や山本有三、菊池寛を読み始めた。戦前の本は大人向けでも漢字にルビがふられているので(但し、旧かなづかいだけど)、漢字ばかりでも何とか読めるものだ。でもやっぱり、宮沢賢治は面白かったけど、「父帰る」や「恩讐の彼方に」はそう面白いとは思えなかった。そりゃそうだ、小学生なんだから。

あと、ふと目に入った松本清張の「黄色い風土」。何気に読み始めたら止まらず、最後の自衛隊演習所に迷い込むシーンを強烈に覚えている。なんちゅう、小学生。

モチロン、小学生らしく漫画も読んだ。この頃はまだ貸し本屋さんがあり、月に1回の契約で月刊のマンガ本「りぼん」を持ってきてもらってた。ついでに父は「文藝春秋」、母は「家庭画報」を頼んでいたと思う。図書館だと最新号の貸し出しは早い者勝ちになるけれど、貸し本屋さんと契約してれば、1週間遅れでも確実に回って来る。雑誌なんて読んだらオワリな所もあるから、買っては捨てるより、貸し本屋さんの方が便利でエコだと思うのだが、なぜかこのシステムがなくなって残念だ。

中学入学のお祝いに買ってもらったのが、旺文社文庫 ど~んと50冊。専用本棚付の特別仕様で、文庫なのに表紙は単行本のように厚かった。どうもこのバージョンは図書館向けの特装本だったらしいが、一括買いの人には今なら本棚付き!の特別セールで親が飛びついたようだ。制服のコートのポケットがまた、丁度ピッタリ入る大きさで、電車通学だったこともあり電車や休み時間によく読んだものだ。この頃の文庫の文字は今より一回り小さかったのに、揺れる電車の中でよく読めたと感心する。かすむ目にムチ打って読む今とは大違い。

ただ、ロシア文学だけは苦手で、登場者の名前がなかなか一発で覚え切れず、一々冒頭の「登場者一覧」に戻るのが面倒でよく挫折した。だって、何たらヴィッチとか何たらフスキーとか、似たような名前が多いんだもん。なので、いまだにロシア文学は馴染めない。

Sibaren 文庫に飽きると、父の蔵書に手を付ける。ほとんどが時代小説だ。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」5巻は夏休み中1週間で読み切った。やっぱり、面白い。子母沢寛や吉川英治も読んだっけ。

そして高校生になり自分で買い出したのが、柴田錬三郎の「眠狂四郎シリーズ」である。正和様が演じて以来のめり込んだのだが、放映中出版された文庫には帯に正和様の写真が載っているので、このバージョンを集めるのに古本屋を回った。狂四郎以外のシリーズも買い込みシバレンワールドまっしぐらの私に、冷や水を浴びせたのが大学時代のボーイフレンドの一言だ。

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2008年10月 4日 (土)

Cocolo

Cocolo "Cocolo"(正式にはCocolo ukes)はウクレレの名前。以前登場したヒロ川島がプロデュースしたウクレレだ。そう、ジャズトランペッター ヒロ川島はウクレレ奏者でもあり、ハワイのウクレレメーカーのサウンドマイスターも務めているのだ。同僚当時はウクレレをプロデュースする程ハワイアンに精通しているとは知らなかった。現在組んでいるユニットのボーカルがフラダンスの先生でもあるので、その影響もあったのだろうか。

"Cocolo"はイギリスのデザイナー、Paul Smithの共感を得、今回コラボレーション製品としてフレットにPaul Smithのロゴが入ったPaul Smith versionが販売される事になった。その展示会兼デモンストレーションとしてミニライブが青山のPaul Smith のshopで開催されるというので行ってみた。イヴェント告知の写真では見ていたが、そこで初めて実物を目にした。写真は正面から撮ったのしかなく、今回後ろから見ての第一印象は、日本の寄木細工のようだな~ということ。

奇しくも、ミニライブ時にヒロ川島も同じような事を言っていた。彼によると、たまたまウクレレメーカーの工場裏に捨ててあった廃材を見て、これをボディに利用してみてはどうかと思ったのが始まりらしい。Paul Smith versionの場合は、Paul Smith shopの床材が使われているという。ボディの色具合から見て、1台に3種類くらいの廃材が使われているようだ。

樹木というのは、その成長ぶりがほんとに様々で、例えばブナだと70年かけてようやく幹周30cmくらいにしかならない。伐採できる太さになるには100年以上かかる。そうかと思うとお山の杉の子は数年であっという間に成長し、木材として切り出される。詳しくはわからないが、伐採時の樹木の年齢によって水分飽和度や密度・堅さなども、色々だろう。

"Cocolo"は今までにない音色と響きがその特徴らしい。確かに今まで1種類の木材で作られていたものが、性質も樹齢も違う木材の組み合わせで作られれば、人が想像する以上の新しい音が奏でられるかもしれない。どんな音が出るかは弾いてからのお楽しみ・・のようだ。まぁ、私自身はウクレレを触った事も弾いた事もないので、音の事は演奏者の耳に任せるとして、あの寄木細工のようなボディを見て思いを馳せたことがある。

それはハワイの日系移民。ハワイに限らず移民の先達は、日本を離れていても日本の文化や伝統を忘れていない。文化なんてそんな大袈裟なものでなくても例えば糠づけ。糠床が手に入らないブラジルでは、青いバナナを利用して糠床を作り何とか日本の味を残そうとした。味的には本物に敵わないようだが、糠づけならぬバナナ漬けという新しいものを生み出した。

Hawaii ハワイではヨーロッパの船員が来ていたシャツを、日系移民が手持ちの和服生地で仕立てたのがアロハシャツの起源である・・という説が有力だ。後年はその染色技術の高さを評価され、アメリカ本国ではなく京都から多くの生地が送られたという。こちらも日本と現地の文化が融合した良い例だ。

日系移民の人たちが、日本古来の寄木細工の伝統を用いてウクレレを作った・・という話は聞かない。だが、Paul Smith shopであのボディの裏を見た時、苦労が多い生活の中で、現地にあるものを利用しながら日本の伝統を残そうとした、日系移民の知恵と「日本」への望郷の想いが重なって見えた。ヒロ川島が何を思って『Cocolo』と名付けたか分からないが、私には「日本の心」がこのボディに宿っているように思える。裏側の写真がないのが返すがえすも惜しい。

"Cocolo"に込めたヒロ川島の思いはこちら → http://www.lovenotesjoy.com/hiro/

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