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2008年9月25日 (木)

フライト 第3便

荷物と言えば、、、怒涛のフライト 3部作

Luggage 2年前まで年に1回、アメリカで開催されるある製品の展示会へ、日本の販売店さんのグループをお連れする添乗員のような事をしていた。実際は身内が引率者なのだが、歳でもあるためその手伝いみたいな役割である。この展示会はアメリカの販売店協会主催で、展示会と同時にその協会の総会も開かれる。つまりは業界の寄り合いみたいなものだ。日本と同じように、アメリカでも「○○の里」やら「アメリカの心の故郷」やらがウリとなるような観光地で開催される。

country music の中心地、Music City、 Nashville ナッシュビルでの展示会に行く時、事件は起きた!

直行便がないので、どうしてもアメリカ国内で乗り継ぎが必要なのだが、United Air (UA)の格安チケットだった為、San Franciscoから一旦UAのハブ空港であるDenverに連れて行かれそこからNashvilleまで再度乗り換える。San Franciscoで入国し、まずは余裕でDenver行きに乗り込む。だが出発の時間を過ぎてもなかなか動かない。ドアを閉める様子もなく、乗客で誰か遅れている人が居るのかな~と思ってるところでパーサーからのアナウンスがあった。

「本日はご搭乗有り難うございます。当機は定刻○○時発、Denver行き△△便・・」 ふむふむ、どこも機内アナウンスは同じだ。アナウンスは更に続く。「ここで乗客の皆さまに良いニュースと悪いニュースがございます。良いニュースは、当機は出発の準備が全て整い、いつでも離陸できる状態でございます」 あ~、それじゃやっぱりお客さんが遅れてるんだなぁ。アナウンスは更に更に続く。

「悪いニュースは、キャプテン(機長)がまだ来ておりません」 はああぁぁぁ~~sign02 飛行機慣れしているはずのアメリカ乗客の皆様方からも、OHH~というどよめきが起きる。

「ただ今、代わりのキャプテンがこちらに向っておりますが、あと1時間ほどお待ち下さい」 げっ、Denverでの乗り継ぎが間に合うだろうか。

アナウンスは更に、乗継の確認や便の変更はカウンターまでなど、諸々の案内が続く。その最中から手荷物を持って出て行く人が居るので、こちらも乗り継ぎ便の確認をしにカウンターまで行く。DenverからNashvilleに乗り継ぐのだが、予定の便には間に合わないと思うが・・と言うと、何名かと聞くので11名だと言うと、それだけの人数なら待ってるから大丈夫と言う。ほんとかぁ~? 次のNashville便は到着が深夜12時近くになるから、予定の便に乗れるか乗れないかは、か~な~り大きい問題なのだ。

半信半疑のまま座席に戻り、グループの方々に説明している時1人の制服姿が乗り込んできた。乗客の1人が「Are you Captain?」と聞けば、「Yes!」の答え。気付いた人達からは拍手で迎えられ、急に呼ばれてアセったみたいな事を言いながら、コックピットに入って行く。こうしてようやくSan Franciscoを飛び立った。

Denverに到着した頃はやはりNashville便の離陸時間は過ぎていた。機外に出ると、さすがハブ空港。乗り継ぎ便ごとにスタッフが立ってゲート案内をし、カートも何台か待機している。私たちのグループも「Nashville行き 11名」の情報が入っていたらしく、とにかくゲートまで走れと誘導してくれる。年配の方はカートに乗せてもらいお姉さんの後について空港内を必死に走る。これがまた、けっこう離れているんだな。Nashville便のゲートは既に閉まっていたが、先を行くお姉さんが、ゲート口のスタッフに11名!と叫ぶと開けてくれた。本来ならカウンターで乗り継ぎ手続きをしてピリっと破られるチケットも、映画館のもぎりみたいにゲート口でお姉さんが破る。我々11名が座席に着くと同時にドアは閉められ、Nashville便は動き出した。どーも、皆さん、お待たせ致しました。

ふぅ~、何とか間に合ったと安堵するも、落ち着いたら一つ疑問が。荷物はどうなった?Denverに着いて人間が全力疾走で飛び乗った飛行機だ。乗ったと同時に確かにこの飛行機は動き出した。はてさて、いつ荷物を運び込む時間がある?この時点で荷物は99%諦めた。

AirplaneNashvilleに着き、それでも1%の期待をもって荷物台で待ってると、あ~らビックリ、出るわ出るわ、結局全員の荷物が見事に出てきた。しかし一体どうやって積み込んだのだろう。Denver空港内を走ったあの僅かな時間だけでは絶対ムリだ。時間があるとすればスポットに着いて我々が機外に出る順番を待っている間。とはいえせいぜい10分もない。その間に荷物庫から出された荷物がこれまた全速力でNashville便に運ばれたとしか考えられない。だが、それには我々の荷物が貨物庫のdoor sideになければこの離れ業は不可能。となれば、San Franciscoで機長待ちをしている間に、貨物庫内で荷物の移動が行なわれていたに違いない。

ハブ空港ならではのメリットを最大に活用した連携作業。飛行機大国、アメリカならではの出来事だ。もっとも、これもSan Franciscoで、「私ら、Denverで乗り換えるのよぉ、次の便じゃ困るのよぉ~」とアピールしたからの結果と思うので、何かあったらとりあえず主張しておくのが、肝要。さぁ、これからのフライトでは、一体何が起きるのだろう。わくわくドキドキの飛行機旅はまだまだ、続く。

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2008年9月24日 (水)

フライト 第2便

食事といえば、、

Jal_meal写真は今月のJALとANAのpremium classの機内食。な、なんて豪華なんだ。economy onlyの私には高嶺の花。Ana_meal

ロンドンからアムステルダム経由で日本に帰る際、ロンドン発の飛行機が遅れアムスで乗り継ぎ便に間に合わなかった事がある。airlineが代替で振り分けたのが南回りのバンコク行き。ドバイ、デリーを経由する各駅停車便で足掛け2日の飛行機旅だ。お陰で日本の家族からは一時期行方不明扱いされてしまった。離着陸の回数が増えるのは嬉しいが、空港を出るたびに食事が出る。機内食ではあまり評判の良くないairlineなので、いい加減ウンザリした所で、バンコクから先振り替えられたThai Airの食事の美味しいこと!海老のチリソースなんぞサイコーで、タイ米の白いご飯との相性は抜群であった。

あぁ、それなのに・・。ロンドンから同じように振り替えられていた某旅行会社のガイド研修ツアーの引率者は、研修生に「タイで積み込まれているから食べないように」と指示をしている。温め直しで表面がカサカサに乾いたさっきまでの機内食と違って、作りたてホヤホヤのふっくらとしたタイ料理が目の前にあるのに、引率者にそう言われたら食べるわけにいかない。せっかくの機内食を残して、研修生達は手持ちのお菓子などで間に合わせていた。まぁ~、お気の毒。

引率者の言い分はこんな感じ。

タイは衛生管理がまだイマイチなので機内食も安心できない。万一の場合、ガイドが食中毒を起こして倒れてしまったらお客さんの世話が出来ないので、安全を期して食べないように。

確かに一理あるが、これから世界各国を飛び回るガイドさん達なのだから、現地のものを食べてある程度免疫を作っておいた方が良いんじゃないの?と、引率者のお説を聞きながら思う私だった。それとも、ツアーのガイドさんって仕事中は機内食を含め現地のものを食べないのだろうか?? まぁ、20年ほど前の昔話だから、さすがに今はタイで調理された機内食でも問題なくこの旅行会社のガイドさんは口にしてるだろう、と思いたい。

さて、Thai Airの食事はタナボタで良かったのだが、南回りに懲りた私は次のロンドン行きは多少高くついても直行便にしようと、心に決めた。で、大枚はたいて乗ったJALのロンドン直行便。霧でヒースローが閉鎖され、フラクフルトに廻されてしまった。またかい!

霧は晴れずそのままフランクフルト泊まり。飛行機を降りた出口で翌日の振替便とホテルのvoucherを渡される。ヒースロー閉鎖の煽りを受けたのはこのJAL便だけではない。ホテルの夕食会場には足止めを食らった他のairlineの乗客も多数居た。どうして分かるかと言えば、会場のテーブル毎にairline名とfight No.が書かれた立札があったからだ。Indian airlineともう1社の乗客が、同じ会場になっていた。別会場にも同じ様に夕食が用意され、明日はこれだけの人がロンドン便のカウンターに殺到する訳だが、まだその凄まじさ、とりわけインド人の恐ろしさを知らない私は、思いがけないフランクフルトの夜をのんきに楽しんでいた。

翌朝、振り当てられたlufthansaのカウンターに行くと、列なんて生易しいものじゃなく、人の塊がカウンターの前に蜜に群れる蟻の如くたかっている。不覚にもちょっと寝坊して出遅れたのもあるが、順番なんて言葉は辞書にないインド系の方々に圧倒され、ようやくカウンターに辿り着いたのは、離陸時間の20分前。荷物は預かれないから持って乗ってくれと言われ、片手に大きなバッグ、片手に友人に頼まれた炊飯器を持ってフランクフルト空港の中を走る、走る。搭乗ゲートには、ここはさすがJAL、日本人staffが居て誘導してくれる。荷物も預かってくれると言うので、炊飯器だけ持って機内に入る。あぁ~、やれやれ。

Airport 今日はヒースローも朝から開いていて、無事着陸。ところが、荷物が待てど暮らせど出て来ない。最後までグルグル回っていた荷物も引き取られこれにて終了。搭乗ゲートで親切に預かってくれた荷物は、結局間に合わなかったのだ。luggage claimでバッグや鍵の形状、ホテル名を書いた用紙を渡し、炊飯器だけ持った情けない姿で到着ロピーに出た。空港までお迎えつきのツアーなのだが、「お客さん、さんざん、待ちましたぜぇ~」顔のお迎え添乗員さんと他のツアーの人と共にバスに乗る。ホテルではこれまた「待ちましたぜぇ~」顔の知人が迎えてくれた。

在ロンドン旅行代理店勤務20年以上の知人は、何があっても驚かない。事情を話すとフランクフルト-ロンドン間は何便も飛んでるから、今日中に荷物はつくはずと言う。でもま、万一の為にと知人宅でジャージ上下を借りた。んっ、男の独り暮らしなのに、なぜに女物っぽい上下? まぁ、野暮な詮索は止めよう。食事をして戻ってきたら、彼の言うとおり荷物がちゃんと届いていた。そう言えばヒースローのluggage claimのお姉さんも、よくあるのよねぇ~という感じだったし、飛行機移動が普通のヨーロッパ内じゃ、荷物の取りこぼしくらいどうって事ないのか。

飛行機が電車代わりのアメリカだと、荷物の扱いはもっとすごい。

これまた、長くなるので続きは次回。

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2008年9月23日 (火)

フライト 第1便

Landing 飛行機が好きだ、見るのも乗るのも。特に離着陸の瞬間がたまらない。離着陸だけのツアーがあったらきっといの一番に申し込むに違いない。以前カレと一緒に乗ったら離陸の直前から急に膝の上で手を組み出した。お祈りをしてるんだって。確かに航空機事故の多くは離着陸時に発生しているというから、お祈りする気持ちも分からなくない。が、だからこそ私はそのスリル感が好きなのだ。そして、なぜか私には飛行機事故では絶対生き延びるという信念がある。

以前、倉本聦が大原麗子と飛行機に乗った時の様子を書いていたのを読んだ事がある。倉本聦は飛行機が苦手で終始緊張していたら、大原麗子があの声で囁くのだ。「麗子は絶対死なないから。だから先生も麗子の側に居れば大丈夫だからね」 そ、まさにこの状況。お祈りするカレの隣で、「私の側に居れば大丈夫よ」と心の中でつぶやいていた。

この夏は立て続けに2回飛行機で往復した。夏休み中という事もあり、普段はビジネス客が多いこのフライトも、家族連れや帰省客が多くを占め機内の雰囲気もかな~り変わる。一番違うのが、子供の泣き声(たまに絶叫)。リーマンばかりだとさすがに泣き声はない。

子供は不思議なもので、搭乗前のロピーでは至極上機嫌で走り回っているのに、機内に入り椅子に座らされる頃からむずがり、後は着陸するまでずぅぅぅ~~っと泣き続けている事もある。親もだが客室乗務員も気にして子供用のおもちゃなど持ってあやすが、いっこうに治まる気配もない。私が利用するのはフライト時間がせいぜい1時間程度の便なので、まぁ、仕方ないか・・で済むが、これが2時間ともなると周囲のお客は堪ったものじゃないだろうなぁ。

パリ在住の友人がバカンスで地中海に向う時、子供たち(4歳と1歳くらい)には病院で処方された睡眠薬を飲ませて強制的に寝かせたらしい。友人曰く、泣き叫ぶ子供を飛行機に乗せるなんて、ヨーロッパじゃ非常識なのよ・・なんだとか。子供の保育園のママ仲間(フランス人)にそう教えられたという。確かにヨーロッパは総体的に公共の場は大人の場所として、子供といえどその秩序を乱す事は良しとしない。日本なら「子供なんだから仕方ない」で済まされることでも、ヨーロッパでは周囲の目が厳しい気がする。逆に言えば、子供もそういう場所に出れば1人の社会人としてみなす・・という考えなのだろう。

話はそれるが、ロンドンのバス内で初老のお祖母さんと一緒に小学校低学年くらいの男の子がバスに乗ってきた。目の前の席が空いたのでその子が先に座ると隣に立ってた全く他人の紳士が、女性より先に座るなんて何事だ!みたいな感じで男の子を注意した。日本ならその位の年齢の子を先に座らせても、誰も何とも言わない普通の光景だ。

男の子は慌てて立ち上がってお祖母さんに席を譲った。もちろん、お祖母さんも件の紳士を、「人の子を叱るなんて」と睨み返すようなことはせず、ちょっと会釈をし、孫には"thank you"と言って席についた。「いいから、○○ちゃん、座ってなさい」なんて注意した人が気まずくなるようなセリフは言わない。その紳士の、「gentlemanが女性を立たせるような事をしてはいけない」という言い方にも、「公共の場では子供も1人の社会人」という精神をかいま見た気がする。

話を飛行機に戻そう。

Menu先日、妹がわずか1時間あまりのフライトなのに、ファーストクラスを利用して帰って来た。夕食時だったので食事が出たそうだが、前菜とメインの2種類が夫々お皿に盛られ、ワインも饗されノンキに食べていたら、もう着陸態勢に入ってしまいデザートまで行き着けなかったという。飛行時間1時間と言っても、水平飛行は正味30分ほどだ。そりゃ、食べ切れないだろう。

ホントかどうか知らないが、以前ロンドンの旅行代理店スタッフに聞いた話。

ロンドン-パリのフライトもやはり飛行時間は約1時間。でも一応国際線なので意地でも食事を出すらしい。だが妹の例にもあるように水平飛行になってから食事を出しても、食べきれないお客さんも居るだろうし、何より食器を回収する時間がなくなる。なので、離陸してまだ上昇している段階から、CAさんが後ろのギャレーから坂道を登るようにワゴンを押してくるという。今ほど航空安全管理が徹底されてない時代の話だと思うが、機内の坂道をヨイショ、ヨイショとワゴンを押すCAの姿を想像するとおかしくて、話を聞いた時は皆で笑い転げたものだ。

食事といえば、、、長くなるので続きは明日。

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2008年9月13日 (土)

ストラディヴァリウス

私はストラディヴァリウスを所持している。価格は1億円・・んなワケがない。

ということで、再びスキーネタ。

Stradi_3  私のストラディヴァリウスはスキー板だ。去年20年ぶりくらいにmy ski として手に入れた。結婚直後に買ったYAMAHA flex Ladies 何とか・・があるにはあったが、ずぅ~~っと物置の奥にしまわれていた。仲間とスキーへ行ってた頃は車に積めば後はdoor to doorで持ち歩く必要もなかったが、独りスキーヤーになってからは電車移動になる為持ち運びが面倒でレンタルスキーを利用することが多くなった。若いうちは靴やウェアのバッグを片手に、スキーバッグを肩に駅の階段を上り下りできたが、今はさすがに辛い。大体、古い板やビンディングは重いのだ!(`ε´)

昔はレンタルスキーはそれ専門の、あまり聞いた事がない量産メーカーものが多かったが、最近はそこそこ名の知れた、場所によっては最新モデルを貸し出してくれるのでYAMAHAの出番はますますなくなってしまった。もう my ski を持つ必要もあるまいと、3年ほど前とうとうYAMAHAを捨てた。今思うと、YAMAHAもスキー板から撤退したことだし、20年前以上の板なら骨董的価値もあったかなぁ~とも思うが、まぁ中級者向けの量販板じゃそんな事もないか。

ところが、最新モデルのレンタルスキーを借り逃げする輩が出て来たのか、ここ数年殆どのレンタルスキーショップで借りる際に身分証明書の提出を求められるようになった。中には写真付きじゃないとダメという所も出てきて、免許証のない私はどうすりゃいいのよ!スキー場にパスポートというのもねぇ、ちょっと仰々しい。

それに加え年齢と共にスキー場での過ごし方も変わってきた。昔みたいにムリが利かない。昔たってわずか5年ほど前だが、20代の5年と40代後半の5年とでは雲泥の差だ。独りだととにかく滑るしかする事がないから、以前はとにかく1日中滑りまくっていた。滑りまくる事が出来た。が、この年になるとリフトで上がってとりあえず、モーニングコーヒー。午前のお茶を挟んでランチはゆっくり。もちろん午後の紅茶を忘れてはいけない。合間に雪が舞えば休憩とか、なんやかやで一休みとか・・。で、夕食の前にひとっ風呂浴びたいから、早めに上がる。まっ、ヘタレです。

しかし、レンタルスキーはみっちり滑ってもダラダラ滑っても、レンタル料は変わらない。当たり前だ。1日借りて実働時間僅か4時間じゃぁ、いかにももったいない。その他天候の急変でリフト動かず、でもレンタル料は帰らずという割に合わない事も度々あり、もう一度 my ski を持つかという気持ちになった時に現れたのが、このストラディヴァリウス。いや、現れたというより、付け入られたという方が正しい。

この板は個人輸入されている。ネームバリューがない上に宣伝もせず、そのくせやたら高いので売れるはずがない。当然在庫がだぶつき、何とか消化せねばならない状況に陥ってる中、my ski を探し始めた私は飛んで火に入る夏の虫だ。無名ではあるが、カービングスキーとしては最高の機能を備えているらしい。ハッキリ言って自己流でここまで来ている私とは、ご身分が違うレベルの板だ。いやぁ~、私なんぞに操作はムリ・・と尻込みしたが、この際だから是非と勧められ、でも高いしぃ~と言えばお安くします・・と来た。

買い物をする時は、コレ!と思うものが見つかるまで徹底的に探す私だが、衝動買いに近い形でこの板を手にした最大の理由は、そのデザイン。ストラディヴァリウスというだけあって、バイオリンのf字孔(∫)が描かれている。私の祖父はバイオリンを趣味としていた。その影響で母も少し習ったらしく、バイオリンの事はけっこう詳しい。バイオリンにまつわる昔話も良く聞かされた。お陰で私自身はピアノを弾いていたが、バイオリンの音色や姿形は嫌いではないし、親近感すら覚えてる。そんな所に、このデザインだ。しかもスキーに。何年か前、大手メーカーの女性用スキーに音符マークnoteがデザインされている板を見たことがあるが、f字孔は初めてだ。ふ~ん、いいんじゃない?

Stradi3_2 で、晴れてmy ski 保持者となった。が、買ってみて気付いたのだがf字孔が同じ向きなので、板を並べてもバイオリンのように対称にならない。板を立てたらバイオリン風に見えると想像していたので、ちょっとガッカリ。と、思ってたらなんと裏にもf字孔が描かれており、こちらは左右対称となっているので並べると、ほ~らバイオイン・・というこ事を、購入して2シーズン滑った後の今日、初めて知った。ノンキなもんだ。よし、今シーズンは裏を見せて立ててみよう。

しかし、『ストラディヴァリウス』の高価感とカービングスキーとしての機能性の良さの両方を分かる人でないと、この板は売れないだろうなぁ。なんせ無名なくせに高いもん。他に勧められた人も居るのだが、バイオリンの世界を知らない人にとっては、「スト何とかって名前」くらいにしか覚えてないし、ましてやその「スト何とか」がなんでそんなに高いの?と不思議に思うだけのようだ。

ここまで読んでこの板に興味を持った方、詳しくはコチラまで→と書きたい所だが、残念ながら日本のHPは閉鎖されている。検索しても唯一スキーとして出てくるのは、どこかのカービングスキー専門の通販屋さんだけだ。もっと知りたいという方は本家のHPをどーぞ。但し、全編イタ~リアンなので、イタリア語が分からない人はカンで読んで下さい。

stradivarius ski → http://www.stradivarius-ski.com

どうしても欲しいという奇特な方、とりあえずコメント下さい。購入のヒントくらいはお教え出来るでしょう。

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2008年9月 7日 (日)

スキーな日々(2)

Couese2_2 そもそも、私はなぜスキーだけは飽きずに続けられるのか。それを考えていたら夏になってしまった・・というのはウソ。お家の事情でと~っても忙しかっただけです。答えは単純明快。

高い所が好きだから。

これはスキーだけじゃなく、私はなぜ山に登るのかの答えでもある。

小さい頃から木登り、塀歩き、屋根の上での昼寝と高い所を目指していた。やはり目線が高くなると色々見えて楽しかったのだろう。そして木登りは上がるのは簡単だけど降りるのはけっこう恐い・・という実体験が、今の山歩きの中でも活かされている。ただ、高い所が好きではあるけれど、まったく平気というわけではない。スキーリフトから覗き込む谷底の深さに、腰がゾクゾクすることもある。最近は大きな谷を超える場合、ゴンドラをかけてる所が多いが、以前はふつーにシングルリフトで長い谷を越える事もあった。

記憶にあるのは、志賀横手山。熊の湯から上がる時も30年前は郷愁のシングルリフトだ。しかも板を脱いで板とストックの両方を抱えて乗らなければならない。乗り場を出ればすぐに下は深い谷。一度リフトに腰掛けたもののどうも座り具合が悪く、このままでは手から板が滑り落ちるか、もっと悪ければ人間ごと落ちそうだったので、リフトが乗り場を離れる寸前にとりあえず飛び降りた。係員が慌てて駆け寄って来たが、谷の途中で落ちるよりましってものだ。

中間地点辺りで下を見れば、吸い込まれそうな深い谷。高い所が好きな私でも腰の辺りがゾクっとする。が、その一方で飛び降りてみたい衝動にも駆られる。一応ネットも張ってあるが人間一人受け止められるかどうか、不安になるような代物だ。飛んでみたいという気持ちと、落ちたら死ぬな・・という思いが胸の内でせめぎ合う。これが谷を渡るリフトの醍醐味。ゴンドラで囲われてしまっては味わえない感覚だ。

そして、もう一つの理由が

独りで出来るスポーツだから。

これは30年近く前にカレが何気なく言った言葉だ。その時はふ~んと聞き流していたが、知らないうちに深くインプットされていた。

あるグループで苗場に行った時。6人ぐらいのグループで知ってる顔は2名しかいない。後は初対面で、その初対面の男性1人となぜか二人きりで滑る事になった。そこまでは良いのだがこれが文句ばかりいうオトコで、「どのコースを滑りましょうか」と人に決めさせるくせに、滑り終わるとツマラナイだの、人が多いだの文句ばかり。だったら自分で決めい!いい加減腹立ってた時に、また同じことをヌカスので思わず、「スキーは独りでも出来ますから、お互い好きなコースを滑りましょう」と言い捨てて、さっさと降りてしまった。

Roten まっ、大人気なくキレた訳だが、その罰が当たったのかその後名物大斜面で転倒し、3月の湿った雪に板をとられ膝の靭帯を思いっきり捻った。みるまに腫れ上がり病院に行くと、「パンツのゴムが伸びきった状態。切れた方が良かった」等と言われ、挙句に「次に同じことをしたら、一生足を引きずる」と脅された。でも、まだ滑ってます、ハイ。

バブルも弾けスキーブームも去り、年を経てからはスキーの相手をしてくれる者も居なくなったが、独りで出来るお陰で細々とでも続けていられる。最近は年相応に、温泉もマストアイテムになってきた。スキー場の温泉宿はかつて独りスキーヤーには甚だしく冷たい対応をとっていたが、スキー冷えの昨今そうも行かないとようやく気付いたか、お一人様歓迎を打ち出してきた所も多い。遅きに失するとは思うが、せっかくだからせいぜい活用させてもらって、私のスキーな日々はこれからも続く。

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