夫婦
上司の奥様が亡くなった。享年56歳。女性の平均寿命から見ればまだ30年も早い。以前この会社に勤めていたこともあり、忘年会にも時々来られていたので、何度かお話もした事がある。このご夫婦の17年の歴史は、そんじょそこらの小説にも負けていない。
奥様は結婚当時から、難病特定疾患に指定されている病気を患っていた。上司はそれを分かっていて入院先の病院に、指輪を持ってプロポーズに行ったという。
酔っ払うとこの上司はいつも言う、女性は太陽だと。飲み会に奥様も来られた時、帰りの電車の中で、いつものように上司のこの言葉が始まった。彼曰く、オトコはオンナが降り注ぐ太陽の光りの中、オンナの手の上でころころ転がりながら成長していくのが幸せなんだそうだ。それを隣で聞いていた奥様は、「それやったら、私はダメな奥さんやねぇ、病気で先に逝ってしまうか分からんし」と言うと、上司はこう言った。「そやから、アンタを守るのがオレの役目やねん」
人前で臆面もなくこう言われて、妻として嬉しくないわけがない。でも、奥様は言われ慣れているのか、さして感激もせず笑って聞いていた。
上司によれば、この頃既に奥様の状態は、生きているのが不思議なくらい身体のあちこちがボロボロな状態だったそうだ。病気そのものの症状もあるが、薬の副作用もあったという。足元が不安な奥様を気遣ってか、二人はずっと手をつないで歩いていた。
上司は闘病を続ける奥様をホントによくサポートしていた。病院の送り迎えは当然ながら、入院すれば朝の食事に付き合ってから出勤し、夜は夜で夕食に付き合うからと飛ぶように帰ってしまう。なにしろ、病院の夕食は時間が早い。もっとも一人ポツネンと家で食べたくないという上司の思いもあったのだろう。検査入院でしばらく家を空けていた奥様が退院するというその日、上司と帰りのエレベーターが一緒だった。「今日のオカズは何かな~」と言うので、「えっ、退院したその日からご飯作ってもらうんですか?」と聞くと、「当たり前でしょ」とエラそうに言う上司の顔は、嬉しさに溢れていた。
去年の秋頃から奥様の病状が悪化し、入退院を繰り返すようになった。特に腎臓が殆ど機能を果たさず、透析をすれば一旦持ち直すがいずれ生命の危機は訪れる、その期間は5年と言われたという。そして、上司夫婦は生体腎移植を選択した。
ただ、それだけの手術に奥様の体力がもつかどうかが最大の問題点で、体力の回復を待ってると腎臓が持ちこたえられない・・というギリギリの所で手術は行われた。手術は成功し腎臓の機能は回復したが、心配していた通り体力、特に弱っていた心臓が耐え切れなかったようだ。手術の3日後、奥様は力尽きてしまった。そしてここがまたこの夫婦のスゴイ所なのだが、病院が自宅から遠い上、本来諸々の手続きをする夫が同じく術後3日で身動きが取れない。結局奥様が自宅に戻るのは3日後となり、普通なら病院の安置室に置かれるのを、奥様はそのまま上司の隣のベッドで家に帰る日を待っていた。
上司より先に家に帰る事になった奥様だが、上司いわくとにかく家に戻りたがっていたから、どんな形であれ早く帰してやりたかったという。先に帰った奥様を追うように、上司も戻り葬儀となった。
よく棺には寂しくないように、不便でないようにという想いから、故人が日頃使ってた物を入れる。まぁ、私自身はあまり死後の世界を信じてないので何もなくても良いのだが、もし入れてもらうのなら、大切な人からもらった大切な物も一緒に入れて欲しいと思う。例えば生きている今でも、飛行機などに乗る場合は何となくカレからもらった本を持っていくことにしている。墜落して死んでしまえばそれまでよ・・だが、万一生き長らえて救助を待つ身となった場合、カレの本を持っているだけで、心強いんじゃないかと思うからだ。
その点、奥様はとても心強いに違いない。何といっても夫の肉体の一部を体内に置いているのだから。男と女がその肉体を共有する瞬間ほど無防備に相手に身をゆだねるときはない。しかし哀しいかなその瞬間は長くは続かない。その関係によっては肉体が離れればそれっきりという男女もいるだろう。だが、奥様は、未来永劫夫と肉体を共有出来るのだ。
闘病生活の中で、上司は独特の死生観を持ったようだ。葬儀の際も棺の中の奥様を見て、「今は単なる亡き骸だから」と漏らしていた。それでも今は寂しさに押し潰されまいと病み上がりの身体で忙しい日常生活に戻っているが、周囲が心配するほど喪失感に囚われている様子は見えない。確かに覚悟もしていたのだろう。やれるだけのことはしたので悔いはない、と喪主挨拶でも会葬御礼でも断言している。だが、それ以上に、上司の中にも例え彼我の世界に離れても、肉体を共有しているという思いがあるからではないかと、勝手に考え、上司夫婦の繋がりの深さに勝手に感動している。
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コメント
うんうん、良い話でした。我が父も腎臓の癌で入院中。先日手術しました。覚悟はしていましたが、もうすぐ無事退院になりそうで、ホッ!
投稿: 古本屋のオヤジ | 2008年3月18日 (火) 22時10分
あら、どーも、お久し振りです。
今年の収穫はいかがですか?
いつも覗いて頂いているようで、ありがとうございます。ようやく正体が分かりました(笑)。
お父様、無事退院で良かったですね。
私の伯父も80歳で肺ガンの手術を受けましたが、生還しました。昔の人は頑丈に出来ています。お大事に。
投稿: 森羅万象 | 2008年3月19日 (水) 11時16分
病院ではプロのサックス奏者の方と親しくなりました。ジャズバンドを組んでいたようで、次から次へと出てくる有名人の話題で盛り上がりました。退院したら、自宅にお邪魔し、生のサックスを聴かせていただく約束でしたが・・・残念ながら、お亡くなりになりました。さすがにプロ奏者。指の太さが並じゃない。ナベサダと一緒に演奏したこともあったそうな。生の演奏を聴きたかったなあ。これが先ず今年初めの収穫です。
投稿: 古本屋のオヤジ | 2008年3月19日 (水) 23時44分